アーユルヴェーダ塾ジュニャーナ塾長日記

アーユルヴェーダについて学ぶアーユルヴェーダ塾ジュニャーナを主催している「塾長」が古典書にもとづいたアーユルヴェーダのお話を日々綴っています。

とり入れるべきもの、すてるべきもの

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

 

アーユルヴェーダでは「とり入れるもの」と「すてるもの」がある。

 

肉体を維持するためには、栄養をとりいれなければならない。

ドーシャ(ヴァータ・ピッタ・カパ)をバランスし、

アグニ(消化力・代謝力)をよくするには、

積極的にとり入れるべき食べ物

逆に、すてた方がよい食べ物

(廃棄することではなく、食べるのをやめた方がいいということ) 

がある。

 

「とり入れるべきもの」「すてるべきもの」は、食べ物だけに限らない。 

病気を治療するための

ハーブの飲用、オイルマッサージやシローダーラといった技術はとり入れるべきもの

アーマ(未消化物)や過剰になったドーシャはすてるべきもの

 

とり入れるべき良い習慣

すてるべき悪い習慣

もある。

アーユルヴェーダの日常生活法や季節の過ごし方は、とり入れるべき良い習慣だ。

良い習慣の反対のことは、すてるべき悪い習慣である。

 

さらには、

とりいれるべき「知識」

すてるべき「無知」

がある。

 

とり入れるべき「知識」は聖典の学習と一般的な知識である。

すてるべき「無知」は、欲望、執着、怒り、悲哀、怠惰、快楽・・・等々

「知識」は「無知」をなくし、健康にもよいし解脱への道である。

「無知」は病気を引き起こし、オージャスという人間の生命力を奪い、

輪廻の渦に巻き込まれる。

 

実は、この「とり入れるべき知識」と「すてるべき無知」が一番難しい。

食べ物や習慣は、実は自分でコントロールできる。

アーユルヴェーダを始めると、最初につまずくのが食事で、

○○体質は✖✖を食べた方が良い、とか、△△は食べたらいけない、

などという言葉に踊らされて、自分が何を食べたらよいかわからなくなってしまう。

しかし「とり入れるべき知識」と「すてるべき無知」ができていれば、

食べ物や習慣は自身で簡単にコントロールできるようになる。

 

「とり入れるべき知識」は終わりがない。

私達は、この世にあるすべての知識を身に着けることなんて絶対にできない。

一般的な知識は、私たちが小学校、中学、高校、大学で学ぶこともそうだし、

仕事のやりかた、生き方、人間関係、道徳、倫理・・・ありとあらゆる知識である。

一般的な知識でさえ、この世にある全てを理解することなぞできない。

でも、少しでも多くのこの世にある知識を得るために一生勉強し続けなければならない。

 

そして、聖典の知識は「神の知識」である。

アーユルヴェーダもこちらにはいる)

「神の知識」を理解することなんて簡単にできやしない。

アーユルヴェーダでさえ、チャラカ・サンヒターを読んだだけで理解できるものではない。

アーユルヴェーダは、聖なる知識としてサンスクリットヴェーダの知識も必要であるし、現代医学、現代解剖学、現代栄養学、植物学、自然科学、インドの文化、歴史などの一般的な知識と両方が必要である。

アーユルヴェーダを理解するには幅広い知識が必要になる。

 

そして、最も難しいのは「すてるべき無知」である。

欲望、執着、怒り、悲哀、怠惰、快楽・・・等々

こいつらが、なかなかすてることができない厄介なものだ。

人から良く見られたい

完璧な自分でありたい

愛されたい

幸せになりた

あの人に認められたい

お金が欲しい

良い暮らしがしたい

あれが食べたい

あれもこれも欲しい

めんどくさいからやりたくない

私は間違っていない

有名になりたい

あいつが嫌い

あいつのせいでダメなんだ

あいつがムカつく・・・

自分が「無知」であることに気がついていないという「無知」もある。

病気の方には大変申し訳ないのだが、病気になることも「無知」である。

病気にはかならず原因がある。

病気になる原因は「無知」から起こる。

病気はドーシャ(ヴァータ・ピッタ・カパ)のアンバランスから起きるが、

ドーシャをアンバランスにさせるのは自身の「無知」である。

 症状は薬などによって一時的に治めることはできるかもしれないが、

「無知」をすてない限り再び同じ病気になる。

もしくは、もっと酷い病気になる可能性がある。

 

「無知」をすてるのは「知識」である。

一般的な知識も必要だが「聖典の知識」と両方が「無知」を治す唯一の薬だ。

しかし、聖典を読んだだけでは「無知」は治らない。

チャラカ・サンヒターやバガヴァッド・ギータや聖書や仏典を読んだだけでは「無知」はなくならない。

聖典を読み「自分の無知に自分自身で気がつかなければならない」

 

そして、その「自分の無知を自分自身ですてなければならない」

他人の力ではどうにもならない。

それには、自分の心、過去のトラウマ、コンプレックスなどの自分のダメな部分に真正面から向き合わなければならない。

自分の触れられたくない部分にふれることにもなる。

それは、辛くて苦しい。

受け入れたくないこともたくさんあるだろう。

しかし「受け入れられないことも無知」である。

 

「無知」はなぜすてるのが難しいのか。

それは「無知」にしがみついていることは「楽」だから。

前にブログでも書いたが、たとえば、病気になった方で、治す気がない方がいる。

なぜなら、病気でいることが楽な場合がある。

聖なる知識の一つとして、人にはダルマ・アルタ・カーマという人が一生のうちにやらなければならない課題があるのだが、病気はこれらを果たすことを邪魔する要因になりやすい。

誤解しないでいただきたいのだが、

病気だとダルマ・アルタ・カーマを果たすことができない、ということではなく、

病気でも十分できるのだが、病気を言い訳にしてやるべきことをやらない、となりやすいのである。

やるべきことをやらないのも「無知」である。

また、「無知」にしがみついていることは、それはそれは楽だし楽しい。

塾長はいつも「怠惰」という無知にまけてグータラ生活を楽しんでしまい、やめられない。

「無知」のかたまりのような人間である。。

偉そうなことをブログで書いていながら、まったくできていない。

自分の「戒め」のために今このブログを書いている。

 

 あなたは何を取り入れて、何をすてますか?

 

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敵に囲まれている

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

 

インフルエンザや風邪が流行っている。

インフルエンザや風邪は、罹ってしまうと日常生活にいろいろと支障がでる。

寝込んでしまうとダルマ(役割)・アルタ(お金を稼ぐこと)・カーマ(愛・願望を叶えること)を果たすことができない。

仕事を休めば、仕事場での役割を果たせずお金も稼げない。

やりたいことがあっても高熱でうなされている時にやりたいことなんてできない。

 

塾長はインフルエンザには人生で一度も罹ったことがなく風邪もほとんど引かない。

「なにかアーユルヴェーダ的なことをしているのですか?」と聞かれることが多いのだが、

特別なことは何もしていない。

 

しいて言うなら、アーユルヴェーダうんぬん関係なく

手洗い

うがい

食事

睡眠

喉が乾燥しないようにこまめに水分をとる

と言った一般的に言われていることをしているぐらい。

別に意識もしていない。

 

 それから、ストレスがたまるとイライラしてジャンクフードやお菓子を食べたくなったり、

眠れなくなって睡眠不足になり体力、免疫力が落ちるので、

あまりストレスをためないようにはしている。

ストレスが自分の最大の「弱点」だと自覚がある。

その「弱点」がでないようなるたけコントロールしている。

できないことも多々あるが。。

「弱点」は人によってちがう。

不規則な生活をすると風邪を引く人、休みがないと体調が悪くなる人、寝すぎると体調が悪くなる人・・・

と人それぞれ不調になる原因はちがう。

その目安となるのがアーユルヴェーダの体質診断でもある。

自分の体質を知り、自分の肉体的・精神的「弱点」がでないよう注意しながら生活するのがアーユルヴェーダである。

 

それから、インフルエンザや風邪が流行っているから気を付けるのではなく、

流行っていなくても年がら年中、常に気を付けることが病気を防ぐ。

健康や丈夫な体は一日ではできない。

一日一日の積み重ねである。

 

とは言っても、

インフルエンザや風邪に罹らないように予防接種をしたり、

気を付けていたのに今年は罹りました!

ウィルスが強くなったから罹っても仕方がない!

という方もいるだろう。

厳しい言い方だが、

それは「気を付け方が不足していた」

もしくは

「気を付け方が間違っていた」ということ。

アーユルヴェーダでは「良い結果には良い原因があり」「悪い結果には悪い原因ある」とされる。

インフルエンザや風邪に罹ったという「悪い結果」には「悪い原因」があるということだ。

何か予防法が間違っていたのかもしれないし、対策が不足していたのかもしれない。

「私のやり方は間違ってない!」と言いたくなる方もいるだろうが、

「私は間違ってない」その考え方が原因である。

自分の思うような結果が出なかった時に「自分のやり方の何がダメだったのか」と見つめなおすことができるかどうかで結果は変わる。

よく「こんなにアーユルヴェーダで言われていることをやっているのに、

一向に体調がよくなりません」と頑なに言われる方がいるのだが、

「私はこんなにがんばっているのに!」と言いたいのだろうが、

結果が伴わないというのは「結果の伴わない原因がある」ということ。

だからと言って自分はダメ人間なんだ、と自分を責める必要もない。

「何が間違っていたのかなぁ」とただ原因を探り、改善すれば良いだけの話だ。

 

 ウィルスは生き物なので耐性もついて年々強くなっているだろう。

そして、人と人との接触が多い現代人は感染症にかかりやすい。

古代は人の往来が少なかったので、

現代より感染症が少なかったとも言われている。

自分の「弱点」を知ったり、現代的なことも考えも取り入れて感染しないようにより注意をはらわないといけない。

 

チャラカ・サンヒターに素晴らしい言葉ある。

自己を知る人は、自分がいつも敵に囲まれているようであることを知り、常に用心して不動の長寿を望みつつ、行動すべきである。

(チャラカ・サンヒター/第1巻/17章.119)

 

私たちは、ウィルスという敵、ストレスという敵、食べ物、生活のリズムや五感を壊すスマホやテレビ、欲望や怒り・・・等々と言った、自分を滅ぼそうとするたくさんの敵に囲まれている。

戦に強い武将が敵に負けないように堅固な城壁や城、たくさんの武器や戦略を持つのと同じように、

私たちも病気という敵に負けないために「堅固な肉体」と「知識」という多くの武器や戦略を持たなければ敵には勝てない。

 

自分の肉体は自分でしか守れない。

 

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インド映画とインド哲学 その2

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

 

今回のおススメは「バジュランギおじさんと、小さな迷子」

ざっくりあらすじ(詳しいあらすじは、公式ホームページへ)

bajrangi.jp

 

パキスタン人でイスラム教徒の口がきけないシャヒーダーが、母親とはぐれてインドに迷い込んでしまう。

インド人でヒンドゥー教徒ハヌマーン神の熱狂的信者のパワン(あだ名がバジュランギ)が、迷子の彼女を助け、彼女の親が住むパキスタンへインドから連れて帰ってあげるお話。

その間にすったもんだありで、ストーリーは非常に単純明快。

 インド映画お決まりの突然の「歌う、踊る」もあるけれど、インドのことが色々わかる映画。

宗教からインドのしきたり、インドのパキスタンの問題などか詰まっている。

そして、国家同士の対立、宗教対立はやめて仲良くしていこうぜっ!と政治的メッセージもある。

インド映画なのに、インド寄りでもパキスタン寄りでもなく、ヒンドゥー寄りでもイスラム寄りでもない。

どちらの良いところも悪いところも同じように描いている所に共感がもてる。

おっさんと子供のロードムービーな割にいろんなことが凝縮された映画でおもしろかった。

 

観に行ってみたいな、と思った方は、この映画を楽しむには、インドの神話ラーマーヤナ、そして、神様のハヌマーンのことやインドとパキスタンの関係を知っていないとよくわからない。

予習して行くのがおススメ。

 

色々書きたいことはあるのだけど、今回はハヌマーンアーユルヴェーダについて。

バジュランギおじさんが信仰している神「ハヌマーン」とはラーマーヤナに出てくるのがお猿さんの戦士。

体の大きさを変えたり、空を飛ぶことができたり、山をひっこい抜いて運んでくるぐらいめっちゃマッチョで強いお猿の神様。

ハヌマーンを意識してか主人公のバジュランギおじさんもなかなかのマッチョでイケメン。

マッチョ好きな方は必見!

そして、ハヌマーンはラーマ王子(ヴィシュヌ神の化身)のことをめっちゃリスペクトしていて忠誠心もバリバリ。

そのため、バジュランギおじさんはお猿さんに出くわすと手を合わせるし、ハヌマーンが超リスペクトしているのがラーマ王子なので「ラーマ万歳」という言葉を何度もいう。

ちなみに、この「ラーマ万歳」という言葉が最後の最後で心に突き刺さるワードになる。

インドの神聖な動物と言えば牛だけど、お猿さんも神聖な動物。

インドに行った時にお猿さんにオヤツを奪われても決して怒ってはいけない。

お猿様にありがたく差し出そう。

 ラーマーヤナを知らないとなんでバジュランギおじさんがお猿さんを敬うのか「ラーマ万歳」というのかわからない。

そんなわけで、ラーマーヤナのあらすじぐらいは知っていた方がおもしろい。

ラーマーヤナのあらすじはウィキペディアをみればざっくりわかるのでご自身で調べてみて。

あと、ラーマーヤナを知らないと気にならないことが、チョコチョコとラーマーヤナに関係する登場人物とかアイテムがでてきたりする。

インド神話を知っているとインド映画をよりおもしろくみることができる。

そして、インド神話がインド人の日常の中にあることがよくわかる。

ヒンドゥー教を宗教と思っている方々は多いと思うが、ヒンドゥー教は宗教でもあるがヒンドゥー教徒の日常生活、考え方、生き方そのものである。

 

それから、ヒンドゥー教の教えの一つに「嘘をついちゃダメ」というのがある。

そのため、熱心なヒンドゥー教徒のバジュランギおじさんは、なんでも正直に言ってしまう。

子供も呆れるバカ正直者。

事情があってパキスタン密入国しようとするのだけど国境警備隊につかまったり、パキスタン警察にスパイとして追いかけられるんだけど、嘘をついちゃえば誤魔化せそうなのをバカ正直に言っちゃうから、話がややこしいことになったりする。

見ている方が「そこは、嘘ついちゃいなよー」って突っ込みたくなるぐらい。

でも、嘘をつくと「天罰?」的なことがおきたりして「やっぱり嘘はいかんのか?」なんて考えさせられる。

でも、「バガヴァッドギータ」を引用して、正しいことをしてるなら、まぁ嘘も必要なんて感じのことを言われたり。。

どっちやねん、と考えさせられる。

嘘については、アーユルヴェーダの「チャラカ・サンヒター」でも嘘には言及されている。

嘘は基本ついてはいけないのだけど、心がサットヴァ(純質)であり、人のためになる嘘ならそれは罪にならない。

例えば、薬を飲むのを嫌がっている患者に、その薬を飲むことしか治療法がないのであれば「これは薬じゃなくてお菓子だよ」って嘘を言って飲ませることは罪とは言えないってことも言っている。

バカ正直は間違ってはいないけど、人として正しい心をもっていて、人を傷つけたり、陥れたりする嘘ではなくて、相手を救う嘘はアリなのだ。

悪い嘘は絶対にダメだけど、私たちもどうしても相手のことを想うと嘘をつかないといけない時もある。

そんな時は、罪悪感を感じる必要はないのだ。

インドの聖典は出家などしてない一般人が実社会で生きるためのあり方や救いを教えてくれる。

ちなみに、この映画にアーユルヴェーダのことは全然でてこない。

バジュランギおじさんは厳格なヴェジタリアンでイスラム教徒がチキンを食べるのを苦々しくみているけど、アーユルヴェーダは肉食は禁止していないのであまり関係ない。

一応、アーユルヴェーダのブログなので、無理矢理アーユルヴェーダと結びつけるとすると、ハヌマーンは風の神ヴァーユの子供である。

空(アーカーシャ)と風(ヴァーユ)がくっつたのがヴァータだ。

ハヌマーンは風の神の子なので、風のように空を飛んであっちこっちに行ったり、時には暴れる。

ヴァータが悪化すると心があっちこっちに行ったり、体に大きなダメージを与えるのは風の影響なのだ。

それから、ラーマーヤナの中でハヌマーンの尻尾に敵が火のついた布を巻きつけてハヌマーンを殺そうとするのだけど、ハヌマーンが暴れて都が大火事になるという話がある。

火はピッタである。

ヴァータが暴れるとピッタが燃え上がる。

風は火を煽る。

炎症はピッタの悪化の典型的な症状であるが、ヴァータの悪化でピッタが悪化することがある。

ハヌマーンが暴れるのをやめさせないと都の火事は鎮火しないのと同じように、ヴァータを鎮静化させないと炎症はおさまらず、ほっておけば身体を中を焼き尽くしてしまう。

つまり、死だ。

炎症=(イコール)ピッタの悪化、と思っていたら大間違い。

炎症=ピッタの悪化だと思って、ピッタを鎮静化することをするとヴァータが悪化して、さらに炎症がひどくなり逆効果になる場合もある。

実は、こんな風にインド神話からアーユルヴェーダを知ることもできる。

インド神話ヒンドゥー教アーユルヴェーダも「ヴェーダ」という最高の叡智から生れているの。

アーユルヴェーダという医学を知るのに神話なんていらない、と思う方もいるかもしれれないが、全てつながっている。

この世に無駄なことはなにもない。

アーユルヴェーダをもっと知りたい、と思ったら是非、神話にも興味をもっていいただきたい。

 

 

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ハヌマーン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

月蝕

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

 

本日1月21日は満月であり、日本ではみれないが皆既月蝕である。

日本人は月蝕、日蝕といった天体ショーが好きだ。

インドでは、月蝕、日蝕は「不吉」なものとされているため見て楽しむべきものではない。

月や太陽を神としてみている彼らには神が欠けたり、隠れたりするわけだから月蝕、日蝕イコール「不吉」となるのも仕方ないことである。

 

天体ショーを楽しむ事は、悪いことではない。

楽しみたい方は、アレコレ考えずに楽しんでいただきたい。

 

ただ、私たちは目に見えないが自然の力によって生かされている。

太陽が東から昇り、西に沈むことにより、自律神経をバランスし朝目覚めたり、夜眠くなり活動と休息のバランスをとっている。

月の満ち欠けにより出産や月経、精神面に影響されると言われている。

ドーシャも自然の力により常に変化している。

食べ物や精神的なことばかりがドーシャを増やしたり、減らしているわけではない。

むしろ、食べ物はいくらでも自分で調整できるが、自然の力は自分ではどうにもならない。

また目には見えないので与える影響力は強い。

人も自然の一部である。

自然の力を無視してはいけない。

自然の力によりドーシャのバランスを崩さないように気を配り、自然の力の恩恵をいただく。

これがアーユルヴェーダである。

 

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マカラ・サンクラーンティ

こんにちは。

アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

 

1月15日火曜日はインドの祝祭日「マカラ・サンクラーンティ」である。

インドの暦で太陽がやぎ座に移動するとても縁起が良く神聖な日であるとされている。

インドの収穫祭でもあり1年の収穫を感謝し今年の豊作を願う日。

皆さまも昨年1年間で「収穫」という「学び」がそれぞれあったはずだ。

悪いことがあった方、あまりよくない1年だった方もそれも「収穫」であり「学び」である。

昨年の「学び」に感謝し今年1年多くの学びがあるように願う日である。

 

太陽がやぎ座にはいる時間は1月14日月曜日の23:22

この時間がもっとも神聖な時間。

この時間に祈りや瞑想が一番深くなると良いそうだ。

なので、23:22からスタートとしても意味がない。

23時頃から初めて23:22を超えるようにスタートする。

もし、この時間にできなくても14日や15日でも構わない(できれば瞑想や祈りは毎日した方がよいので、これをきっかけに始められたら始めて欲しい)

普段から決まった時間に瞑想をされている方は普段の時間でも構わない。

 

お願い事をするのではなく、今年の目標や決意を表明しよう。

急には目標や決意はきめられないので、14日に向けて今からこの1年にどんな豊かな収穫(学び)を得たいか目標や決意を考えよう。

漠然とした目標ではなく具体的な方がよい。

例えば...

単に健康でありますように。

ではなく

健康になるために早寝早起きして、運動をして食事をバランスよく食べます。

病気を治すために、良い医者をみつけ、医者だけに頼らず自分でも病気を治す努力をします。

 

幸せになりますように。

ではなく

幸せになるために人に優しくします。

つらいことがあっても不平不満は言いません。

 

試験などがある人は、単に合格しますように

ではなく

○○試験に合格するために一日〇時間勉強します

家族が試験を受ける方は

風邪を引かせないように気を付けます。

おいしいごはんを作ります。

 

などと自分がやるべきことを具体的にあげよう。

人生がガラリと変わるような大きな目標や決意でなくてもかまわない。

現実維持でもかまわないし、今年は無理せずゆっくりするでも立派な目標だ。

 

それから、マカラ・サンクラーンティは「冬至」でもあり、春から夏へ向かう第一歩だ。

本格的に始動するのは、もう少し暖かくなってからからの方がよい。

会社をやめる!と目標をたてたからと言って、いきなり15日に辞表を上司に叩きつけてはいけない。

他の人に迷惑をなるたけかけないように辞めるための準備を始めよう。

今が本当に辞める時なのか、仕事の整理をしたり、引き継ぎの準備を始めたり、辞めた後はどうするのか...などなど 

また、いくら目標をたて、決意表明したからと言って、何もしなければ結果はでない。

植物を育てるのと同じだ。

時期を見計らって種をまき、水をやり肥料を与える。

大切に大切に育てて、実りの季節に豊作になるように、今からコツコツと準備を始めていこう。

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祈りと健康 ~その2~

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

 

病気の予防のためにも「祈り」は良い行為である。
アメリカの研究で「祈ることでストレスが解消されている」と言っている。
祈りと瞑想のストレス解消のメカニズムは同じだそうだ。
ストレスが高まるとアドレナリンなど体に害をおよぼすホルモンが分泌され、高血圧や免疫力低下を引き起こす。
祈りや瞑想は、こういったストレス・ホルモンを抑える脳の化学物質の分泌を促進するため、ストレスを解消すると提言している。
また、日常的に祈りや聖書などを読んでいる人は「長生き」であるという統計もでている。
確かに、お参りに行くとなんとなく清々しい気持ちになるのは、知らないうちストレス解消になっているのかもしれない。

病気等で神社やお寺に行けない方は、自分の家で祈るだけでもよい。
聖典を読むことでも構わない。

神様や仏様とかを信じたくない方も信じる・信じないはその人次第なので強制することはしないが、散歩やちょっとした運動の一環としても取り入れるのはどうだろうか。
実は、神社やお寺に行くと結構よい運動になる。
なぜかと言うと、これは日本人の知恵だが、日本は古来から災害や人災が多い。
地震津波、台風による水害、木造家屋のため火事も多い。
そのため、過去の経験から災害や火事から神社や寺を守るために山の上や小高い丘に建っていることが多い。
そのため、階段や坂が多いのだ。
(最近はエレベーターやエスカレーターがある所もあるが・・・)
行って帰ってくるだけでも結構よい運動になる。

また、心や時間に余裕がないとお参りに行けない。
心が乱れていたり、やることに忙殺されていると神社や寺に行こう!という気にならない。
初詣も休みでやることがないから「初詣でも行こうかなぁ~」となる方も多いのではないかと思う。
お参りに行くぐらいの心や時間の余裕がなければ肉体的にも精神的に疲れてしまい病気を引き起こす原因になる。

塾長は休みの朝は散歩と運動を兼ねて、あえて近くの寺や神社に行くことを習慣にしている。
なぜなら、目的がないとダラダラと休みの日は寝てしまうし、忙しい日々をリセットしたり、考えごとをするには、歩きながらの方が頭が回るからだ。


また、神社や寺は自然に囲まれていることが多い。
これも先人の知恵で火事から建物を守るために木を植えている。
最近は土地を売ったり、駐車場にしたりしてしまって、自然がなくなってしまっている所もあるが、自然が残っている場所を探してもいいし、海や川の近くには神社や寺があることが多い。
海や川を眺めるだけでも心が落ち着く。
あまり自然に囲まれて暮らしていない方には神様や仏様うんぬん関係なく森林浴や自然を感じるために行ってみるのもよいのではないだろうか。


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祈りと健康  ~その1~

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

 

皆さんは「初詣」には行かれただろうか。

 

アーユルヴェーダでは、病気を治す治療法の一つとして「神に依存する治療」というのがある。

祈祷

祈りを捧げること

神を信じること

聖典の学習

これらが、病気の治療法として考えられている。

言ってはおくが、神に頼ることだけで病気が治るわけではない。

きちんとした医者に診てもらう

正しい治療を受ける

良い行い

これらも同時に行わなければ病気は治らないので、神様、仏様頼みだけで病気を治そうとしてはならない。

 

特定の宗教を信仰している方は、ご自身の信仰している神や仏に祈りを捧げたらよい。

ただ、日本人の多くは特定の宗教がない方がほとんどであろう。

そういう方は、家の近くの神社や寺でもいい。

ご先祖様のお墓がある寺に行くことでもかまわない。

アーユルヴェーダだから、インドだからといってヒンドゥー教寺院に行く必要はない。

そもそも日本ではヒンドゥー教寺院は行くことが難しいし、仏教の仏様とヒンドゥー教の神様は繋がっている。

仏教はヒンドゥー教の前身であるバラモン教を否定しつつも繋がっている。

仏教の仏様はお寺に行きご本尊の由来などを知るとインドにつながる。

そして、アーユルヴェーダにもつながることもある。

寺で行われる「護摩焚き」は、ヒンドゥー教の「ホーマ」という火の中に供物を投じる儀式から由来している。

「ホーマ」は祭壇に火をおこしてその中にギーや祭餅などを投げ込むことである。

これは「火の神様」を通じて天界の神々に供物をささげることを意味する。

その「火の神様」のお名前はずばり「アグニ」

アーユルヴェーダで「アグニ」といえば「消化力・代謝力」を意味する言葉だ。

火の神様「アグニ」は火の中にくべられた供物を神々に届ける役目をする。

アーユルヴェーダのいう「アグニ」は食べ物を燃やして(消化)、食べ物の栄養を私たちの身体に行き渡るようにしてくれる。

神様の「アグニ」とアーユルヴェーダの「アグニ」、なんか似ていないか?

もっというと、「アグニ」はバラモン教の土台となっているヴェーダの神様の中では、とてもパワーがあって重要な神様の中の一人だ。

その火の神様の名前をわざわざ消化力・代謝力である「アグニ」という医学用語に使っているのは意味がある。

アーユルヴェーダでいう「アグニ」は「私たちの体を作り、体を維持するのにとっても重要なもの」であり「パワー」があるものなのだ。

インドの神様を知るとアーユルヴェーダをより理解できる。

日本でアーユルヴェーダを学ぶと宗教的要素を大人の事情ではぶかれてしまうことが多々あるのだが、アーユルヴェーダにしろ、ヨガにしろ哲学にしろ、占星術にしろ、インドのことを本気で勉強しようと思ったら神様のことは切っても切り離せない。

 

また、チャラカ・サンヒターには、やらなければならない「良い行い」というのがあり、その中の一つに「アグニを崇拝せよ」とある。

アグニは仏教の神様になると「火天」となるが、残念ながら日本ではあまりメジャー(仏様にメジャーとか言っていいのかわからないが・・・)ではないので「護摩焚き」へ行ってみるのはどうだろうか。

護摩焚き」の火をみたり(目を痛めるから直視しないでね)、火を感じたりすることでアーユルヴェーダのいう「アグニ」を理解するヒントが見えてくるかもしれない。

 

その他にもアーユルヴェーダの神様といわれる「ダヌヴァンタリ」は、日本に伝わると医薬の仏様の「薬師如来」となる。

薬師如来」はメジャー(?)なので、全国各地の有名な大きなお寺から小さい地元密着型のお寺にもいらしゃる身近な仏様だ。

病気にお悩みの方はもちろん、アーユルヴェーダを勉強されている方はアーユルヴェーダの神様に新年のご挨拶にいかれるのはどうだろうか。

薬師如来様がいらっしゃるお寺を知るには「薬師如来 神奈川県(お住まいの地域)」で検索するとヒットする。

 ちなみに、偶然なのか必然なのかわからないが、塾長のご先祖様の墓があるお寺のご本尊は薬師如来様である。

墓を守っている関係上、墓参りには頻繁に行くので、行くたびに薬師如来様にブログの読者の方々の健康、講座を受講の方々の健康、病気を抱えている方には治癒を祈らさせてもらっている。

 

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