アーユルヴェーダ塾ジュニャーナ塾長日記

アーユルヴェーダについて学ぶアーユルヴェーダ塾ジュニャーナを主催している「塾長」が古典書にもとづいたアーユルヴェーダのお話を日々綴っています。

知識・技術・経験は財産

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

たくさん勉強してたくさんの知識や技術を身につけた方、苦しい思いをたくさん経験してきた方は世の中にはたくさんいる。
でも、せっかく身につけた知識や技術、たくさんの経験を活用されていない方がとても多い。
非常にもったいないなぁー、と思う。
大切なお金と時間をかけて身につけた知識、技術、そして、楽しかったり、苦しかったり、悩んだりしながら経た経験は大切な「財産」である。
価値あるものである。
価値あるものであるから眠らせてしまってはいけない。
活かすべきだ。
表に出すべきだ。
そして、それを「お金」に換えるべきだ。

世俗を捨てて出家する人はお金を持つべきではないとされるが、アーユルヴェーダは一般人向けなので、お金を稼ぐことを「悪いこと」とはしていない。
むしろ、積極的にお金を稼ぎ、人生を楽しむべきである、としている。
生活を安定させるのはもちろんだが、心の安定のためにもお金を稼げと言っている。
稼ぐ手段がないと人は不安になる。
心が不安定になることはアーユルヴェーダでは「病気」とされる。

塾長の知り合いで非常に手先が器用な方がいる。
「こんなの作ってー」とお願いすると朝飯前とばかりにササっと作ってくれる。
昔からいろんなものを作ってきた知識や技術である。
お教室に行っても経験から1,2回でコツを覚えてしまい、あっという間に自分のモノとしてしまう。
不器用な塾長にはうらやましい限りなのだが、彼女はいつも不安を抱えている。
「老後どうしょう」「仕事がなくなったらどうしょう」「旦那が病気をしたりして稼げなくなったらどうしょう」という不安だ。
作り方を教えたり、作品を売って稼げば不安はなくなるよ、と他の友達たちに薦められているのに「自信がない」とか「自分はまだまだ」「どうやって教えたり売ったりするかわからない」など、なにかと「やらない理由」をみつけては、なかなか踏み出さない。
そしていつも不安を抱えながら生きている。
自分が抱えている不安は自分で解消するしかない。
人にあれやこれや言われても解消はしない。
最初は自信もないだろう。
やり方もわからないだろう。
でも、せっかく身につけた知識や技術、経験によって不安は解消できることがある。
一歩前に踏み出す勇気をもってほしい。

そして、受け取る側も知識や技術、経験は簡単に手に入れられるものではなく、その方の努力や膨大な時間やお金がかかっていることを忘れてはいけない。

「知識」を教えている友人が嘆いていた。
彼女は生活を切り詰め、子育てをしながら時間をやりくりしながら勉強をし、やっと手に入れた知識を教えながら生活をしている。
まだまだ費やしたお金は取り戻せていない、と言っている。
しかし、そんな彼女の知識をいとも簡単に奪おうとする人がいるそうだ。
彼女が苦労して身につけた知識や勉強のやり方を根掘り葉掘り聞いてきたり、生徒さんからお金をいただいて教えている知識を、なにげない会話から引き出そうとするそうだ。
お金をいただいている生徒さん達にも申し訳ないし、知識という目にはみえないけど彼女にとっては「商品」なので、タダでは売りたくない、と思っているそうだが、子供の学校のママ友らしく強くも言えず悩む、と言っていた。

ヨーガでもアーユルヴェーダでも「不盗(ふとう)」という考え方がある。
文字のとおり「盗んではいけない」という教えだ。
人のお金や物を泥棒はもちろん犯罪なのでやってはいけない。
しかし、お金や物以外でも人の時間や知識や技術、経験も盗んではいけない。
もし、教えてもらうのならば、それなりの対価は払わなければならない。

友だち同士でも同じだ。
知識や技術を教えてもらいたいのであれば、きちんとその旨伝えるべきである。
友だち同士で金銭のやりとりが気まずかったり、相手に遠慮されてしまうのであれば、ランチをご馳走するなり、品物でもかまわないと思う。

教える方も自分の大切な商品を安売りしてはいけない。
それなりの対価を払って覚える知識は、聞く方もそれなりに元をとろうと一所懸命に覚えようとするが、無料の知識や技術はあまり記憶に残らない。
教える方もお金を頂戴して教えるのであれば、それなりの知識を提供しなければならない。
お互いのためでもある。

 

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アーユルヴェーダはあなたの人生については教えてくれない

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

 

アーユルヴェーダに興味を持つ人の中に「自分がどう生きていけばよいのか」「自分はどうあればよいのか」と迷っている方がいる。
アーユルヴェーダは「生命」と「有益な人生、幸福な人生とは何か」を教えてくれる。
アーユルヴェーダは学んでいくことで迷っている人たちに「自分はどう生きていけばよいのか」「自分はどうすればよいのか」ということに気づかせてくれる。
実際に、アーユルヴェーダを学んでいくうちに自分の生き方に気づき、生活習慣や食生活の改善を始めたり、新しいチャレンジを始めたり、考え方がかわったり、となにかしらの変化が起きていく。
出会った頃は何かに迷い、苦しんで暗い顔をしていた子が、アーユルヴェーダを学ぶにつれ悩みや迷いが消えて、生き生きとして清々しい顔に変化してくる。

 

しかし、アーユルヴェーダを学ぶことでアーユルヴェーダや塾長が「あなたは何をしたらよい」「あなたはこう生きていけばよい」という明確な答えをだしてくれると期待する人がいる。
残念ながら、アーユルヴェーダの講座を受けてもアーユルヴェーダは「あなたは何をしたらよい」「あなたはどう生きていけばよい」という明確な答えは出してくれない(もちろん、塾長も占い師でも預言者でもないので人様の人生についてなぞわからない)
アーユルヴェーダが発するたくさんの言葉を自身の力でキャッチして、その言葉から自分にとっての有益な人生、幸福な人生とはなにかと考えなければ答えはでない。
考え、行動することで、自分はどう生きたいのか、人生をどう過ごすか、ということがだんだんと見えてくるのだ。

言葉はボケーッとしていたら流れていってしまう。
言葉は寝ていたら聞こえない。
言葉は読まなければ記憶できない。

アーユルヴェーダから自分の人生や生き方をみつけたいのであれば、アーユルヴェーダが発する言葉を理解する努力と自分で考えることが必要だ。

 

自分の生き方や人生に迷っていて、誰かに答えを出してもらいたい、と色々な講座やセミナーに参加したり、占いに行ったり、先生探しをしている方がいるが、自分の人生は自分だけのものだ。
アーユルヴェーダや占いや他人に自分の人生を決めてもらってはいけない。
それは単なる「依存」であり「逃げ」でしかない。
他人に決められた人生は、出来なかった時、うまくいかなかった時に他人のせいにすることができる。
自分が傷ついたり、苦労したくないから逃げ道を作っているだけだ。
「依存」や「逃げ」はロクな人生にはならない。
極端な例だが、先日、5歳の女の子が虐待している親に許しを請う手紙を書き残し虐待死した事件があった。
彼女の母親は再婚相手に依存していた。
捨てられたくない、不幸になりたくないからと虐待されるわが子を見て見ぬふりをするという「逃げ」に走った。
「依存」や「逃げ」は人としての正常な判断を失わせ、自分と自分以外の人を不幸にする。

自分と自分以外の人を不幸にする人生を送りたいか?
そんな人生を送りたい人などいないはずだ。

迷い、苦しんでもいい。
いろんなことをやってみて失敗してもいい。
アーユルヴェーダを勉強してもいい。
占いに行ってもいい。
でも、最後は自分の生き方や人生は自分でみつけ、地に足をつけてしっかり自分の足で歩かなければ意味はない。
そうしなければ、いつまでも満たされない今のままのあなたの人生が続くだけだ。

 

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誰かのために頑張らない

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

 

誰かのために頑張る。

素晴らしい。

「子供ために頑張る」

「親のために頑張る」

「会社のために頑張る」

「恋人のために頑張る」

...

でも、自分の心に「嘘」をついて頑張っている人達がいる。

我慢をして無理をして、

心や体が悲鳴をあげている。

マジメでいい子で優しい子は特にだ。

やりたくない、心も体もしんどい。

「だけど、私が頑張らないと子供が、親が、会社が、彼氏...がダメになる」と思っている。

それは決して悪いことではない。

責任感がある証拠だ。

 

でも、

無理をしすぎて自分が病気になってしまってもよいのか?

何もかもを自分がやってあげることが相手のためになるのか?

相手の成長や考える力を奪ってはいないか?

他人の仕事を奪ってはいないか?

あなたの心や体が壊れて不幸になったら相手は悲しまないか?

 

とは言っても、やらなければならないこともある。

育児や介護、仕事を投げ出すことはできない。

 

無理せずにやるにはどうすればいいのか。

 

少しだけ考え方を切り替えればよい。

「誰かのために」と思わないことだ。

誰かのために頑張れる人は、

実は、自分がやらないと心がザワザワしたり、心が落ち着かない。

だから、やってしまうのだ。

やらないで自分の心が落ち着かなかったり、

気になって仕方がないのであれば自分の意志でやればいいのだ。

「誰かのために」ではなく、

「自分がやらないと心が落ち着かないからやる」

ただそれだけでよい。

「誰かのために」にと思ってしまうと、

人は人からの評価や感謝が欲しい、という「欲」がうまれてしまう。

「欲」が満たされないと不満や怒りが起きる。

不満や怒りは心や体、もしくは両方に病気を引き起こす。

病気にならないために「誰かのために」ではなく、

自分のためにやるのだ。

アーユルヴェーダでは心のざわつきは病気だ。

 

そして、自分を一番に大切にすること。

自分のことは自分にしかわからない。

体や心に不調があったら、我慢したり、めんどくさがらずにさっさと病院に行こう。

それが、あなたが大切にする人を守ることになる。

 

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アーユルヴェーダは一流のサポート陣!?

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

前回、アーユルヴェーダがあなたの全ての問題を解決してくれない、というお話をした。

自分のことは自分にしかわからない - アーユルヴェーダ塾ジュニャーナ塾長日記


そうすると、アーユルヴェーダなんて必要ないでしょ?
ということになってしまう。

もちろん、アーユルヴェーダはみなさんのお悩みを100%解消することはできない。
では、アーユルヴェーダの存在意義とは何なのだろうか?

アーユルヴェーダは人生という長い道を歩むあなたが、
その道でつまずいて転んでしまった時、
少し早く起きあがれるように背中をそっと押してくれたり、
起き上がりやすいように手を引っ張てくれるそんな存在だ。

転んだ時に一人で起き上がるより、
誰かに背中を押してもらったり、
引っ張ってもらうと立ち上がりやすい。

アーユルヴェーダは、
病気でつまずいてしまった時は、病気の治療法を。
心が折れてしゃがみこんでしまった時は、心の癒し方を。
生き方がわからずに迷子になってしまった時は、進むべき方向を教えてくれる。

生まれてから死ぬまでの人生という長い道のりには、
平坦で歩きやすい道もあるけれど、
デコボコ道や坂道、苦手な道・・・
自分の好きな歩きやすい道ばかりではない。
晴れた日ばかりでもない。嵐の日もある。
元気に足取り軽く歩ける日もあれば、疲れて歩けない日もある、病気の日もある。
歩くスピードも速い人もいれば、遅い人、
体力がある人、ない人、
坂道が得意な人、苦手な人、
しっかり歩ける人、杖をつかないと歩けない人、
ひとそれぞれ体力も環境もちがう。

アーユルヴェーダは、人生のゴールに向かって歩むあなたを、
肉体的、精神的、いろんな方面からあなたに合わせてサポートしてくれる。
体や心を元気にしてグングン歩けるように病気の予防法まで教えてくれる。
あなたがスポーツ選手だとすると、
アーユルヴェーダはあなた専属の有能な監督、コーチ、マネージャー、ドクター、カウンセラー、栄養士みたいなものだ。

でも、アーユルヴェーダに全て頼り切ってしまってはいけない。
どんな有能な監督や一流のコーチやサポート陣がいたとしてもスポーツ選手は本人が努力しなければ結果はでない。

転んでしまっても自力で起き上がろうとする努力も必要だ。
なぜ自分はこの道で転んでしまったのか?
この道は正しい道だったのか?
坂道を駆け上がる体力がなかったのに無理をしたのか?
山道を登る準備が足りなかったのでは?
とさまざまなことを反省しなければならない。
人は反省をしたくない。
人は自分は間違っていないと思いたい。
でも、転んだのには転んだ理由がある。
どんなにがんばっても結果がでないのには結果がでない理由がある。
自分を冷静に判断し転んだ理由を見つけて素直に反省しなかったら、
なにも解決しない。
また転ぶ。
再び転ばないように慎重になり、
自分の体力や精神力、
得意な道、不得意な道、
歩いた方がよいのか、走った方がよいのか、
突き進んだ方がよいのか、休憩をした方がよいのか・・・
とさまざまなことを自分で考える必要がある。

自分は力を抜いてアーユルヴェーダや他人まかせにして起き上がる努力をしなかったら、
アーユルヴェーダは助けてくれない。
アーユルヴェーダが教えてくれている声に耳を傾けていなければ、
なにも教えてくれない。
選手が監督やコーチ陣のアドバイスを聞き入れなかったら、
みんな教えることをやめてしまうのと同じだ。

でも、
アーユルヴェーダを理解しアーユルヴェーダの教えを理解する努力をすると、

あなたが転ばずに力強く一人で前を向いて歩いていけるように、
一生アーユルヴェーダは寄り添ってサポートしてくれる。
アーユルヴェーダはそんな存在だ。

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自分のことは自分にしかわからない

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。


アーユルヴェーダに辿り着く方は、

何かしら問題や悩みを抱えている方が多い。
アーユルヴェーダをちゃんと知りたい、

勉強してみたい、って人は特に。

問題や悩みは人それぞれ。

肉体的、精神的に不調を抱えていたり、

自分の生き方がわからなかったり、

この世界での生きずらいさとか。。
体も心も元気です!

なんにも辛いことも悩みありません!

人生って楽しい!
というキラキラ女子(男子)はアーユルヴェーダにほぼ100%興味をもたない(いたら、ごめんね)

そういう塾長も体も心もバキバキに折れている時にアーユルヴェーダに出会った。
今はありがたいことにアーユルヴェーダによって心身共に元気だけどね。

残念ながらキラキラ女子ではないが・・・

 

とは言ってもアーユルヴェーダの理屈を勉強したからといって、

一生懸命オイルマッサージや舌掃除をしたからといって、

心も身体も元気になり悩みも辛さもなくなりキラキラ女子(男子)になるわけではない。

もちろん塾長の講座を受講したからといって人生が変わるわけではない。

アーユルヴェーダや塾長が抱えた悩みをなんとかしてくれる、

と期待される方もいらっしゃるかと思うのだけど、

残念ながらアーユルヴェーダも塾長もあなたの悩みや苦しみを救うことはできない。

なぜならば・・・

自分のことは自分にしかわからない。

だから

自分でなんとかするしかない。

 

アーユルヴェーダは、

目に見えないモノの話が多い。
例えば、

私達の体の中には「ドーシャ」という目には見えない3種のエネルギーがあるとされる。
この3つのバランスが崩れることで病気が発生する、

アーユルヴェーダでは考える。
ドーシャは目には見えない。

数値でも測れない。
ドーシャは常に変化している。

そして誰一人同じドーシャのバランスではない。

人によって様々。

ドーシャは、

食事、

季節、

時間、

環境など

多くの要因によってバランスが変わる。

食べてる物、環境がまったく同じ人なんて誰一人といない。

アーユルヴェーダの本に書いてあるとおりに全てやったからといって良くなるとは限らない。
人によってはやらなくても良いこともある。

アーユルヴェーダによって病気の治療したり健康でありたいのであれば、

このドーシャのバランスを気にして、
今の自分のドーシャの状態はどうなのか?
3種類のうちのどのドーシャがバランスを崩しているのか?

ではどのようにバランスをとればよいのか?
と目に見えないので、

常に自分で感じながら対処していかなければならない。

消化力といわれるアグニの強弱によってもドーシャのバランスは変わる。
アグニも目では見えない。
アグニは強くても弱くてもいけない。

少しアーユルヴェーダを知るとアグニを強くすることばかり気にするが、

強ければよい、ってもんでもない。
ちょうどよいバランスを知らなければならない。


心の状態によってもドーシャのバランスは変化する。
イライラしたり、

悲しんだり、

落ち込んだり、

喜んだりすることで変化する。
心も目にはまったく見えない。

 

アーユルヴェーダ

「目には見えないものを見えるもの」

として治療をし、

見えないものを壊れないように予防をしていく。

目には見えないものに対処するわけだから、

アーユルヴェーダのドクターだって100%完璧にその人の身体や心を理解することはできない。

それはアーユルヴェーダに限らず現代医学でも違う伝統医学でも同じだ。

病院に行って自分の痛みや辛さを伝えて、

自分の全てを理解してくれる医者はいるだろうか?

そもそも、自分の症状を100%伝える言語能力はあるのだろうか?

痛みや苦しみの程度は、

人によって感じ方がちがう。

他人の痛みや苦しみは、

受け手側の心の強弱、経験やその人の知識からしか感じることしかできない。

失恋したことのない人は、

失恋した人の心の痛みはわからない。

病気をしたことがない人が、

病気の人の苦しみはわからない。

心の強い人は、

心の弱い人の気持ちはわからない。

 

自分の苦しみは自分にしかわからない。

 

逆を言えば、

他人の苦しみもその人にしかわからない。

だからといって、

他人の痛みに無頓着になってよいわけではない。

他人の苦しみを理解できないからこそ人と寄り添うべき。

 

話はそれたが、

自分のことを100%理解してもらうことは誰にもできない。

自分のことは自分にしかわからない。

さっさと理解してもらうことをあきらめよう。

自分のことは自分にはしかわからないからこそ

「私のドーシャ、アグニ、心、元気ですかー?バランスとれてますかー?」

と、

自分の身体や心に常に問いかけ、

常に気にかけてあげること。

常に自分の体や心を気にかけてあげることで、

これを食べるとなんか調子がいい、

これを食べるとなんか調子が悪くなる、

何が自分の心を苦しめたり、

何が自分の心を楽しませてくれるのか、

ということがだんだんわかってくる。
そして、

自分のあらゆることがわかってくる。

自分にとって必要なものを取り入れ、

不必要なものを捨て去ることができるようになってくる。

それが意識せず無意識でできるようになってくる。

そうすると自然と体や心の問題が解消されてくる。

アーユルヴェーダはみなさんのお悩みを解消することは100%できない。

塾長もみなさんの何かを解決してあげることはできない。

結局は、

自分のことは自分でなんとかするしかない。

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茶道とヨーガ・瞑想のちがい

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

 

先日、カフェインについて掲載したところコメントをいただいたので、

今回はそのコメントについて書いてみました。

 

ayurvedacramshooljunana.hatenablog.com

 

S様から以前「カフェイン」についての考察を教えて欲しい、とのコメントをいただいていました。

そのため上記↑のブログを書いたのだが、S様が「カフェインがなぜ悪いのか?」とされるのは以下↓のような質問を外国の方からされたからだそう。

 

「日本の茶道では、カフェインを多量に含むお茶を飲み、心を落ちつかせるとする。

ではなぜ、インドのヨガ・瞑想では、カフェインはダメとされるのか。」

 

この質問に答えるにはいろんな知識が必要になる。

 

まず、一番わかりやすいのが日本のお茶と外国の方が飲むカフェイン飲料との成分の違いだ。

外国の方の「カフェイン飲料」と言えば「コーヒー」や「紅茶」だろう。

同じ「カフェイン飲料」といえども全ての成分が一緒ではない。

コーヒーと日本の茶を比べると色や香りが違うし、コーヒー豆とお茶の葉まったく違うものである。

ということは、成分や性質が違う。

 

日本のお茶を飲んで「ホッ」として落ち着くのは「テアニン」という成分が入っているから。

この「テアニン」は交感神経の働きを抑えて副交感神経を優位にさせリラックスさせる効果がある。

しかも、茶道で使う抹茶や玉露のような高級茶ほど「テアニン」の含有量が多い。

逆にコーヒーや紅茶はこの「テアニン」の含有量が少ない。

カフェインは交感神経を刺激して覚醒させるが、日本のお茶は「テアニン」の働きによりカフェインの刺激を抑えられる。

そのため、日本のお茶を飲むと心が落ち着き、コーヒーや紅茶はシャッキとさせるのだ。

 

また、茶道ではお茶と一緒に甘いお菓子も出される。

甘い物は心を落ち着かせたり、甘いお菓子を食べると「あぁ~なんて幸せ」と思うことがあるように幸福感や満足感を与えてくれる。

 

それから、現在の日本のお茶はペットボトルで安く、大量に飲めるので、

カフェインを大量に摂っているように外国の方から見えるかもしれないが、

茶道をやっている方はご存知だろうが、茶道で出されるお茶は大量には飲まない。

2-3口で飲み干す量しか飲まない。

家で飲む普通のお茶もひと昔前は、食後やおやつの後に湯のみ茶碗で飲む程度であり、ペットボトルやマグカップでガブ飲みするものではなかった。

 

そして、日本の茶道とインドのヨーガや瞑想は成り立ちがまったくちがう。

塾長は茶道の歴史には詳しくないので、詳しく知りたい方はご自身で調べていただきたいのだが、茶道の歴史は栄西禅師が鎌倉時代の初期、宋よりお茶の木と抹茶を飲む方法を日本に伝えたとされている。

当時はお茶は高級品であったためお殿様やお金持ちの武士や商人など一部の特権階級の人の間で特別な飲み物として飲まれていた。

また、高級品なので大切なお客様をもてなす時や特別な時に飲まれていたようだ。

そして、鎌倉~室町時代にかけてお茶の葉が日本各地で栽培されると、武士の間でお茶の銘柄を当てる「闘茶」が流行ったり、各地の大名が中国の高級な「茶器」を輸入し、それを自慢するために盛大なお茶会を開催したりしていたようだ。

そして、室町時代中期にかけて村田珠光が茶会での博打や飲酒を禁止し、質素や禅宗の礼法を重んじ、亭主と客との精神交流を重視する茶会のあり方を説いた。

さらに千利休などによって「お客様をもてなす」ということを主眼においた現在の私たちがイメージする「茶道」が広まって行ったとされている。

決められた作法を行うことで精神を集中させたり、抹茶の成分の効果や季節の花々、美しい茶器などを眺めることにより心を落ち着かせる効果をもたらすと考えられるようになった実は後付けで、そもそも「楽しむ」ことから発展したのが茶道である。

 

一方、ヨーガや瞑想は茶道のように「楽しむ、嗜む、お客様をもてなす」というものではない。

インドの宗教、哲学、アーユルヴェーダもヨーガも瞑想も全て「苦しみからの救済」がテーマである。

インドで生きることは今も昔も大変に厳しい環境である。

気候も日本のように穏やかではない。

ものすごく暑かったり、砂漠地帯もあればヒマラヤのように寒く厳しい所もある。

川も多いので川が氾濫することもある。

激しく厳しい環境は病気や死という苦しみを生み出す。

いろいろな国とも接しているため多民族国家であり、領土を取り合う戦いや宗教的な戦いなどもある。

明日、国がなくなるかもしれない、明日、殺されるかもしれない、という苦しみがある。

身分階級制度や特定の仕事につかなければならない制度などもあり、自由に生きられない苦しみがある。

島国で敵に責められることもなく、単一民族で宗教は神道と仏教しかなく、穏やかな気候な日本とはインドは全く違うのである。

インドはそういった厳しく苦しい環境で生きるために「いかにして救われるか」を土台にして、厳しい環境や現実から「救済」されるために宗教が生まれ、苦しい現実から救われるために心を静かにしてヨーガや瞑想が発達してきた国なのだ。

 

また、多くの人が欲望をもつと困る人たちもいた。

欲望をもってガツガツと生きていく人が増えると、自分の地位や職業を奪われる可能性がうまれる。

そのため、人々が欲望や不満をもたないようにうま~く人々を丸め込んできたインドの歴史的背景もある。

 

そして、時代を経て欧米にインド思想やヨーガや瞑想が入っていき「カフェイン」がダメなど独自に解釈をされてだんだんと変わってきてしまっている。

 

アーユルヴェーダでも「カフェイン」はダメとはされてはいない。

バガヴァッド・ギータでも「苦味・酸味・塩味・熱い、辛い、乾燥した刺激性の強い食物は、ラジャス(激質)の人たちが好んで食べるが、こうした食物は、人に苦しみや悲しみや病気を引き起こす(B.G/17/9)」とはされるが「カフェイン」を名指しで否定はしてはいない。

「カフェイン」を否定したら、なぜインド人はチャイを飲んでいるのか?

インドでもスタバもあるし、コーラーも売っている。

ギーターが言うこれらの性質から考えると「カフェイン」よりもどちらかと言えば「お酒」なのではないかと思う。

アルコールは、甘味、苦味、辛味、渋味の混合した味であり、温性、乾燥性という性質を持っているとアーユルヴェーダでは言われている。

ヒンドゥー教では飲酒は否定はしてはいないが「好ましくない」とされている。

仏教やイスラム教は「酒は心を乱すので禁止」とされている。

カフェインよりもお酒を禁止している宗教は多い。

(ちなみに、モルモン教はコーヒーやお茶、お酒を禁止している)

アーユルヴェーダでは、お酒は禁止されてはいない。

体質や悪化しているドーシャや季節によっては飲酒をしてもよいとされている。

大量の飲酒やピッタ体質やピッタが悪化している人、精神がラジャスの人や怒りに燃えている人、驚いている人、悲しんでいる人、疲労している人などは避けるべきとされている。

カフェインで苦しみ、悲しみ、病気を引き起こすには、相当な量を飲まなければならない。

しかし、お酒は苦しみ、悲しみ、病気を引き起こすことがたくさん思い当たる。

コーヒーを飲んで失敗したことがある人はそういないはずだが、誰でも一度や二度、お酒で失敗したことはあるのではない?

飲みすぎて駅のトイレでウゲッー、二日酔いで頭がガンガン、酔っ払って上司に絡んで「ヤッべー、やってもうたー!」と焦りまくる・・・なんてことで苦しんだことはない?

塾長は今はお酒は全く飲まないが、若かりし頃は飲んでいたのでイロイロとやらかした・・・恥ずかしい思い出ばかりで心が苦しい。。

そんなことはおいておいて、二日酔いぐらいならかわいいものだが、急性アルコール中毒は最悪死に至る場合もあるように飲酒で引き起こされる病気は多い。

アルコール依存症や肝硬変、肝臓がん、膵炎、すい臓がん、糖尿病・・・などなど

病気にならなくても、お酒飲んで暴れて失業したり、飲酒運転をして他人を轢いてしまい自分の人生も他人の人生も全て壊してしまう、というようなお酒によって肉体的にも精神的にも自分や自分以外の人にも苦しみや悲しみを引き起こすことがたくさんある。

 そう考えるとと「カフェイン」よりも「お酒」の方がしっくりこないだろうか?

 

アーユルヴェーダやヨーガや瞑想を深く知るには、宗教的なことはもちろんだが、インドの歴史、風土、文化、言語など実に様々なことを知っていないと深く理解することは難しい。

実のところ、チャラカ・サンヒターだけを読んでいてもアーユルヴェーダは理解できない。

ヨーガ・スートラだけを読んでいてもヨーガは理解できない。

なぜなら様々なことが複雑に絡み合っているからだ。

アーユルヴェーダやヨーガを理解したい、と思ったら、複雑に絡み合っているものを一つずつ丁寧にほどいていくしかない。

それがインドのものを学ぶおもしろさでもあり難解さでもある。

 ほどいていく作業はとても大変だが、それが遠回りのようで近道でもある。

また、現代的な知識も知ること、日本とのつながりや違いなどを知ること理解を深める一助となる。

それから、欧米や日本に渡ったインド思想がへんてこりんに解釈されているってことも忘れてはいけない。

 

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【再掲載・訂正版】アーユルヴェーダの食事 ~カフェインは悪か?~

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

 

以前、こちらの記事を掲載しましたが、一部に誤りがありましたので、

訂正し再度掲載いたします。

 

 アーユルヴェーダやヨーガを実践されている方や健康志向の方に嫌われる食べ物というのがある。
ジャンクフードや添加物満載の食べ物は嫌われても仕方ないかなぁ、と思うのだが、なぜそんなに嫌うのか?と思うものもある。
その代表格が「カフェイン」だ。

塾長は飲食物に良い・悪い、というレッテルを貼るのが大嫌いである。

どんな食べ物でも「良いも悪いもない」と思っている。
体に良いとされる食べ物でも食べ過ぎれば体には悪い。
世間一般に体に悪いと言われる食べ物でも、それしか食べ物がなければ命をつなぐ良い食べ物になる。

極端だが災害が起こり食べ物がない時にカップラーメンで命をつなぐことができる。

山で遭難し救助された人は、おやつで持っていたチョコレートなどで命をつなぎ助かることも多い。

そう考えると食べ物に「良いも悪いもない」のだ。

 

アーユルヴェーダの元祖教科書であるチャラカ・サンヒターにこんなくだりがある。
師匠が弟子に「薬になるものを持ってこい」と指示をする。

弟子は悩んだ挙句、なにも持たず師匠の前に戻ってくる。師匠は弟子に「なぜに手ぶらで戻ってきたのか?」と問う。
弟子は「この世に、薬にならないものなどありません。

ですので、すべてを持ってくることは不可能です」と答える。
つまり、この世の物は全て薬になり悪い物なんてないってことをチャラカ・サンヒターでは教えてくれている。

 

アーユルヴェーダやヨーガはインド産だ。

そして、インドといえば、言わずと知れた紅茶の国だ。

チャイ売りが町中をうろうろしている国だ。

実は、日本ではあまりイメージはないがインド産のコーヒーも世界的には有名。

コーヒーの輸出量はインドは世界7位だ。

アーユルヴェーダやヨーガをやっている人が紅茶やコーヒーを毛嫌いするのはインドの食文化や産業を否定しているのではないか、とも思ってしまう。

 

カフェインが毛嫌いされる理由を探っていたら、ヒンドゥー教やヨーガの聖典でもあるバガヴァッド・ギーターには、このような件があった。

「苦味・酸味・塩味・熱い、辛い、乾燥した刺激性の強い食物は、ラジャス(激質)の人たちが好んで食べるが、こうした食物は、人に苦しみや悲しみや病気を引き起こす(B.G/17/9)」

塾長の勝手な推測だが、この一文から苦味や刺激をもつコーヒーや紅茶が毛嫌いされるのに至ったのではないか、と思う。

ヨーガは感覚器官をコントロールし心の活動を鎮める行為。

コーヒーや紅茶のように香りや味がよいものは嗅覚や味覚を刺激する。

中毒性もあるので中毒性のあるものは欲望をうみだすので、欲望を抑えるためにカフェインのような刺激のあるものは避けるべきなのであろう。

 

とはいえ、アーユルヴェーダは6味(甘味・酸味・塩味・辛味・苦味・渋味)をバランスよくとりなさいとある。

「どっちやねん!」と混乱してしまう方がいる。

どっちも正しい。

バガヴァッド・ギーターも別に刺激の強い食物を「ダメ」とは言ってはいない。

ヨーガは心を良くするものなので、心が欲望や執着を産むので心を乱すものを摂りすぎないように言っている。

アーユルヴェーダは身体を良くするものなので、身体のためにはバランスよくなんでも食べましょう、と言う。

どちらも間違えではなく、どちらも正しい。

 

 現代的にみればカフェインは覚醒作用があるので、目覚めのコーヒーは理にかなっている。

また、利尿作用があるため体のむくみをとったり血圧を下げる作用もある。

そのほか、解熱鎮痛剤として風邪薬にも入っている。

強心作用もあるとも言われている。

コーヒーの香りは認知症予防になるともいわれている。


余談だが、塾長の祖父は喫茶店を経営していた。

祖父はもちろん祖母、両親ともにコーヒー好きで毎朝コーヒーを飲んでいた。

日本茶も好きで食後は必ず飲んでいた。

みんなスリムで血圧も高くなく、心臓が丈夫で認知症になることもなく死ぬまで頭はしっかりしていた。

エビデンスはないが、これはコーヒーなどのカフェインの効果なのではないと密かに思っている。

 

カフェインは胃が荒れるとか胃が痛くなると言う方もいるが、カフェインを胃で分解するときに胃酸が多くでる。

そのため自分の胃酸で自分の胃酸を荒らすので胃が痛くなるのだ。

それは、カフェインが悪いのではなく、カフェインの作用を知らずに自分の体に合っていない量を飲んだ自分が悪いのだ。

中毒になるほど飲んでいる方は、カフェインのせいで中毒になったのではない。

なぜカフェイン中毒になるほど飲んでしまったのだろうか?

病気には必ず原因がある。

仕事が忙しすぎるのかもしれない、忙しすぎるのは物理的に仕事が多すぎるのか、自分の仕事の効率が悪いのか、忙しそうにしている方が人から認めらえると勘違いしているのか・・・必ず病気を引き起こす原因がある。

原因をみつけて原因を取り除くことがアーユルヴェーダの治療法の一つである。

 

体に良い、とされているものでも合わない人もいる。

カフェインだけが特別に悪いわけではない。

玄米は身体によいとされているが玄米アレルギーの人も山ほどいる。

フルーツも健康的な食べ物と思われているがフルーツアレルギーの人もいる。

カフェインは気管支を拡張させる作用がある。

塾長は喘息もちなので、軽い発作がでそうなときは予防でコーヒーを飲むと落ち着く(人それぞれだからみんながみんな効果あるわけじゃないよ)

とある人にとってはコーヒーが身体に悪くても、他の人にとってはコーヒーは薬になることもあるのだ。

どんな飲食物でも良い点、悪い点という2つの側面がある。

一つだけの側面だけをみていてはいけない。

日本人は一つだけの側面しかみていない人が多い。

「なにそれを食べると痩せる」「ハリウッドセレブが食べている●●を食べるときれいになる」「△△は身体に悪い」なんていう言葉に踊らされやすい。

カフェインだけを悪者に仕立て上げる理由はない。

カフェインにも良いところもちゃんとあることを知り、自分にとって必要か必要でないかを見極める「知性」をもつことが、アーユルヴェーダでもあり、ヨーガでもある。

 

カフェインをアーユルヴェーダ的にもう少し説明すると、コーヒー、紅茶、緑茶などは「苦味、渋味」をもっている。

苦味、渋味はカフェインと言うよりもタンニンだ。
苦味、渋味は乾燥性、冷性、軽性という性質をもっているので、同じ性質をもつヴァータを増やす。

が、インドのチャイやコーヒーはミルクや砂糖がたっぷり入っていて熱々で飲む(インドにはアイスチャイはない)
ミルクや砂糖はヴァータを減らす甘味や油性、重性という性質をもつのでヴァータを増やさない。

また、インドは暑い国である。

チャイはスパイスが入っているのでピッタを増やすように思えるが、むしろ暑すぎる気候はピッタにともなう消化力(アグニ)が落ち体力が弱くなるのだ。

日本でも夏の暑い時期は食欲が落ち夏バテや夏痩せしたりするでしょ。

消化力を上げるためにも熱々でスパイスが入ったチャイを飲むのだ(同じ理由でスパイス料理を暑い国は食べるのよ)インドの気候にあったドーシャをバランスさせる合理的な飲み物なのだ。

 

身体に合わない人、飲みたくない人はカフェイン飲料を飲む必要はないけど、飲みたい人は無理に我慢することない。

無理に我慢してイライラするぐらいなら、一日1杯か2杯とかってルールを決めて飲めばいい。

イライラもアーユルヴェーダでは病気だ。

 

アーユルヴェーダでは飲食物を摂るさいの決まりごとがある。

これらを守ることで健康や長寿を手に入れることができるとされる。

 

・ 適量を守ること
・ルールを守ること
・季節にそった物を摂ること


カフェインの適量は下の厚生労働省のホームページに記載があるので参考までに

食品に含まれるカフェインの過剰摂取についてQ&A 〜カフェインの過剰摂取に注意しましょう〜 |厚生労働省

ルールは一日2杯まで、夜は飲まない、妊娠中は避ける、胃の調子が悪い時は飲まない、といったルールを守ること

そして、季節もアーユルヴェーダでは大切だ。

人が抵抗することができない季節が体に与える影響はとても大きい。

カフェインであれば、夏もそうだが寒い季節にアイスティーは飲まない。

ストレートティーやブラックコーヒーではなくスパイスをいれて飲むなど工夫をすればよいのだ。

 

飲食物は「薬」だ。

用量用法を間違えず適切な物をとりいれれば体をよくして健康になる。

でも、薬は用量用法を間違えれば体に害を与える。

 

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