アーユルヴェーダ塾ジュニャーナ塾長日記

アーユルヴェーダについて学ぶアーユルヴェーダ塾ジュニャーナを主催している「塾長」が古典書にもとづいたアーユルヴェーダのお話を日々綴っています。

インド映画とインド哲学 その1

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。
今回は、インド映画のお話。
インド映画といえばおっさんやお姉ちゃんが「歌う、踊る」のイメージが強い。
実は、歌ったり踊ったりしない映画もちゃんとある。
歌ったり、踊ったりする映画も悪くないが、そうではない映画も人情味あふれるおもしろい映画がある。
それから、インド映画にはアーユルヴェーダの土台になるインドの思想や哲学があちらこちらに散りばめられているものが多い。
インドの思想を知らないとおもしろくないかもしれないが、知っている人には非常におもしろく深く考えさせられる。
ちなみに、アーユルヴェーダでいえば、親子でオイルマッサージをしているシーンや街角でおっさんがオイルマッサージをしていたり、呼吸法をやっているシーンなどがチラリとでてきたりして、インドの日常生活のなかにアーユルヴェーダがあることがわかる。
オイルマッサージはかなり雑で笑えることが多いけど・・・

 

 

アーユルヴェーダは、インドの「ヴェーダ」という叡智から派生したものである。
この「ヴェーダ」は、アーユルヴェーダ(医学)以外にも宗教・文化・哲学(ヨーガも含む)・文学・美術・占星術...とインドのあらゆることのオオモトになっており、インドそのものであり、インドという国を作りだしている。

インドのあらゆるものが元を辿ると全てが「ヴェーダ」に辿り着く。
全てに共通した土台である。
究極なことを言えば「ヴェーダ」をわかっていないとアーユルヴェーダを真に理解したことにはならない。
逆に、「ヴェーダ」を理解するとアーユルヴェーダをはじめ、ありとあらゆることがわかってくる。
ヴェーダ」の最終ゴールは「解脱・悟り」であり、その他「ヴェーダ」から派生したもののゴールも全て「解脱・悟り」である。
「解脱・悟り」とは、超簡単に言うと「欲望に縛られていることから解放されて、輪廻(生と死を繰り返す)を断ち切ること」
宗教・医学・文化・哲学・美術・占星術も文字もなにもかも全て輪廻から解放されるために輪廻とはなにか、輪廻しないようにするためにどうしたらよいのか(心ありかた、行動、方法)・・等を教えてくれる。
そのことを理解してインド映画を観るとさらにおもしろく観ることができる。

 

では塾長が最近観たおススメインド映画を何本かご紹介(ネタバレあり)↓↓

「ラーマ王子伝説 ラーマーヤナ
インドの二大叙事詩といえば「マハーバーラタ」と、この「ラーマーヤナ
ヒンドゥー教聖典でもある。
神話なのでストーリーがちゃんとあるのだが、物語の中に解脱するためのことがつまっている。
ラーマーヤナに限らずインドの聖典は「こうすれば解脱できまっせ!」ってズバリは教えてはくれない。
物語の中で起きる「すったもんだ」から、解脱につながる教えを自分で読み解くことが学びであり、解脱への道なのだ。
ラーマーヤナに限らず、聖典は何度も何度も読み返しながら解脱とはなにか、解脱するにはどうしたら良いのかということを自分で探していかなければならない。

ラーマーヤナはインド以外でも有名なお話。
カンボジアやタイの舞踊やインドネシアの影絵芝居などにもなっているので、もしかしたら、バリやカンボジアに旅行したことがある方は知らず知らずに触れている人はいるかもしれない。
中国では「西遊記」、日本では「桃太郎」の原作がラーマーヤナではないか、とも言われている。
あらすじはネットで検索すると山ほど出てくるので興味があったらご自身で検索してね。
本で読むと長いので、知らない方はてっとり早く映画をみるのもおススメ。
上映されているのは神奈川県横浜市の「シネマノヴェチェント」という小さな映画館。
横浜でもかなりローカルな映画館。
ここでしかやっていないので、地方の方は申し訳ないのだが神奈川県近郊でアーユルヴェーダやヨガなどインドモノのお勉強をしている方は観ておいて損はないと思う。
話の内容はもちろん良いのだが、この映画の素晴らしいところは、全て手書きなところ。
外交問題や政治問題によって紆余曲折しながら1993年完成したが地下鉄サリン事件などの影響によって日本で公開されることがなかったが、近ごろやっと日本で公開された映画。
25年も前に書かれたとは思えないほど繊細で美しい。
手書きとデジタルの中間のようである。
昭和世代にとっては、ちょっとなつかしい感じもある。
絵の美しさも是非味わっていただきたい。
注意として、毎日上映しておらず観られる日がかなり限定されるので、必ずスケジュールを確認してから出向こう。
それからインドの神話のアルアルで登場人物がやたら多いので、登場人物の相関図がのっているので必ずパンフレットをもらおう(無料)


 

 

ガンジスに還る
こちらは現代のインドのお話。
ヒンドゥー教の聖地「バラナシ(カーシー/ヴァ―ラーナスィー/ベナレス)」が舞台。
死期を悟った父親(ダヤ)とその家族の物語。


ネタバレになるので詳しくは書かないが、死は自分で選択できるのか?と考えさせられる。
また、家族の死をこれからも経験する人も経験したことがある人もどちらの人も考えさせられる映画。
人の死を扱った映画なので暗いのかと思ったら、意外とクスっと笑える所も多々あり。
終わった後は、すっごい感動するか、すっごい号泣するほど悲しいか、というとそうでもないのだけど、なぜか泣けてくる不思議な映画。
こちらは、東京の神保町「岩波ホール」ですでに公開中。
地方も順次公開されるそうなのでチェックしてみて。
上映劇場や「あらすじ」は公式ホームページで↓↓


 

そして、この映画を観るにはやはりインドの思想や風習を理解していないとおもしろくないので、予習してから観たい方は以下を読んでみて。
ややネタバレが入るので、ネタバレが嫌な方は読まないでね。

まず、ガンジス河(インドではガンガー)というのは沐浴をすると全ての罪が洗い流され、遺灰を川に流すと輪廻から解放され解脱すると言われている聖なる河。
河とはいえヒンドゥー教徒にはガンジス河は女神ガンガー様(ヒンドゥー教の元になっているバラモン教は力のあるものはなんでも神様)
そして、舞台となる「バラナシ」はシヴァ神に護られているといわれている聖地。
インドでも聖地は多数あるが、バラナシはスーパー聖地の一つ。
バラナシで死ぬとそのまま解脱(輪廻からの解放)ができると信仰されている。
そのため、死期を悟ったダヤがバラナシやガンジス河にこだわるには理由がある。
実際に映画に登場する「解脱の家」のように死期を悟った方が滞在できる宿泊施設もいくつかバラナシにはあるそう。

バラナシへ旅立つ前に牝牛をダヤが寄進するシーンがある。
なにげないシーンだが、ヒンドゥー教では牛は神聖視されているが、特に牝牛は子供産み、お乳を出して生活を豊かにしてくれるので豊穣の象徴ともされ、糞や尿まで大切にされており特に神聖視されている。ちなみに、シヴァ神の乗り物も牝牛である。
牝牛を寄進することは神聖な行為である。

そして、牝牛を寄進した後に、ダヤの孫娘がダヤが終活であげた原チャリで外出する。
実は、女性が原チャリや自転車に乗って自由に外出できるようになったのは最近のこと。
そもそも、女性が外出したり学問をしたり仕事をするのをあまり良しとしない文化。
女性は結婚して家庭を守り、子孫繁栄することを良しとし、昔よりかはマシになったそうだが現代でもその考えは非常に根強い。
バラナシへ行きたい、って言うは、原チャリを孫娘あげちゃう父親にムカついている頭の古いダヤの息子、そんな親の気持ちを知らずにバリバリ原チャリで出かけるイマドキ女子の娘。
しまいには、ダヤと仲が良い娘は結婚しないと言い出し苦悩するダヤの息子の姿が映し出される。
しきたりを守りつつも孫娘に原チャリをあげちゃう先進的な考えなダヤ。
携帯電話を使ってバリバリ仕事をする息子。だけど、頭は古い。
そのギャップもおもしろい。

ギャップといえば、ダヤと孫娘が買い物に行った時にバンク入りラッシーを楽しそうに飲む。バンクとは大麻のことね。
「解脱の家」ではアルコールは禁止だが大麻はOKという矛盾。
その矛盾もインド的。

そして、塾長の心にヒットしたのが「解脱の家」でダヤが友達になるヴィムラの言葉。
「解脱の家」では最大15日までしか滞在できないのだが、ヴィムラは18年も滞在している。
そのヴィムラがダヤが死にそうになった時にダヤに嫉妬したと告白する。
「私にはまだ死ぬには努力が足らないようです」
「小手先の努力では死は訪れない、死は心から訪れる」
という言葉。
死、つまり輪廻からの解放。
ただ解脱には努力がいる。
その努力の方法の一つがアーユルヴェーダでもある。
そして、その他マハーバーラタなどの聖典に書かれていることでもある。

そして、その努力をするには「心」がもっとも重要だ。
解脱には言語的、精神的、肉体的が良き「行い」をしなければならない。
その「行い」を引き起こすのが「心」である。
そのため「心」の状態をよくしなければ解脱はできない。

アーユルヴェーダの実践も努力がいる。
アーユルヴェーダが教える「やるべきこと」を「忙しくてできてない」「めんどくさくてやっていない」と言って努力しない間は解脱はできないということになる。

 

そして、葬儀のシーンが何か所かある。
太鼓を鳴らし手拍子をして、歌いながら遺体を担いでガンジス河に向かう。
日本では考えられないが葬式がお祭り騒ぎだ。
なぜ、お祭り騒ぎかと言うと、死によって「輪廻から抜け出せば超ハッピーなことであり、もし、解脱できなくても古びた肉体を脱ぎ捨てて、新しい肉体を得て再び解脱できるチャンスがきた」ということ。
ヒンドゥー教徒は、死は超幸せなことか、ただの通過点でしかないのだ。
死を「良かったねー」って思っているからお祭り騒ぎで、死は不安になることでも悲しむことでない、ってこと。

 

これ以外にも深いい!セリフがたくさんあるので、インド哲学、思想に興味がある方、またインドの文化を知りたい方はおススメ!

 


あと数本おススメがあるので次回に続きます・・・

アーユルヴェーダとはなにか

こんにちは。
アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

アーユルヴェーダはインドの伝統的な医学であるが、病気を治すことが全てではない。
「いかにこの人生を正しく、よく生きるか」ということを教えてくれる。
アーユルヴェーダに限らず、ヨーガ、瞑想、宗教も同じである。
日本でのアーユルヴェーダは美容やリラクゼーションというイメージやインドというと宗教やスピリチャルといった不思議な(もしくは怪しい)よくわからないモノと感じる人もいるだろう。

アーユルヴェーダの土台になっている思想を知ると怪しくもなんともない。

むしろ「この人生を良く生きるにはどうしたらよいか」ということなので非常に現実的であり、スピリチャルでも怪しくもなんともない。

知らないから不思議で怪しく感じるのだ。
アーユルヴェーダの土台となる思想なんて知らなくてもアーユルヴェーダのオイルトリートメントをうけたり、アーユルヴェーダのハーブを飲んだりすることはでき体に効果がないわけではない。

しかし、アーユルヴェーダの根本を知ることで体だけではない真の健康を手にいれることができ、よりよい人生を送れるようになる。

ヴァータ・ピッタ・カパを理解するヒント

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

 

アーユルヴェーダといえばドーシャである。
つまり、ヴァータ・ピッタ・カパである。

体質診断にしろ、病気の発生にしろ、病気を治療するにしろ、健康を維持をすることにしろドーシャが重要になってくる。
アーユルヴェーダはドーシャだけが全てではないが、ドーシャがなんなのかわからないとアーユルヴェーダを理解することは難しい。
だが、このドーシャを理解するのが難しい。
アーユルヴェーダの勉強を始めた人が最初につまずくのがドーシャだ。
アーユルヴェーダに関わる人でもドーシャがなにかということを説明できる人がいない。
塾長もドーシャがわかっているのか?と聞かれれば「わかってない」とハッキリ言える。
なぜ難しいのか。

アーユルヴェーダを体系化した古代インド人と現代人が見ている世界は全然違う。
何もない所から様々なことを生み出した人達と、先人たちが生み出したモノの上にのっかって生きているだけの私達には見えていないモノがたくさんある。
その一つがドーシャだ。
古典書のドーシャの部分を読めば読むほどわからなくなる。

 

ドーシャは目に見えない。
だからよくわからない。
だが、まったく目に見えないモノから生み出されたモノではない。
アーユルヴェーダではこの世にある目に見える、目に見えない関係なくすべての物質は「空・風・火・水・地」の全てもしくは何個かの組合わせでできている、と考える。
よってドーシャも「空・風・火・水・地」でできている。

空と風の組み合わせでできているのが「ヴァータ」
火と水の組み合わせでできているのが「ピッタ」
水と地の組み合わせでできているのが「カパ」

である。

 

「空・風・火・水・地」は自然界にあるものだ。
私達にすぐ側にあるものだ。
特別なものではない。
ドーシャを理解するファーストステップは、空、風、火、水、土を感じたり、触れてみればいいのだ(火は触ったら火傷するから触るのはやめてね)

そして、それらがどんな働きをしているか考えるとドーシャをイメージしやすくなる。

 

空は私たちや物質が存在するには空間が必要だ。
空気であり、命を支えている

風は空が動くことで起きる。
風はそよ風だと気持ちが良い。
風は湿気をなくし乾燥させる。
風は火を煽る。
風が嵐になるとどうなるか?
先日、台風が来たが看板やら車を吹っ飛ばす。
湿気がない日の風は洗濯物をカラカラに乾燥させる。

火は野菜や肉をおいしく食べられるようにしてくれる。
火は暖かさをもたらす。
火は明るさをもたらす。
でも、火が強すぎるとどうなるか?
せっかくの野菜やお肉をまる焦げにして食べられなくなる。
反対に火が弱すぎるとどうなるか?
生煮えでなまぬるいおいしくない料理ができる。
ストーブに当たりすぎると熱くなったり、火傷をさせる。
明るすぎても何もみえない。
火事が起きたらどうなるか?
全てを焼き尽くし、全てを炭にして灰にして、焦げ臭さを残す。

水は私たちに潤いをもたらす。
飲み水は全ての生き物の命をささえる。
大地に水があることで植物が育ち、全ての生き物の命を支える。
流れている水はゴミや汚れを流すので美しい。
流れていない池の水はゴミがたまり汚い水になる。
水ばかりのぬかるんだ土地は、立つことができないし家を建てることができない。
洪水が起きたらどうなるか?
全てのものを流し破壊する。

大地があることで私たちはこの地球に存在することができる。
植物を育む。
土と水がバランスすることで豊かな土壌となる。
土が多すぎるとどうなるか?
固く土地では植物が育たない。
石ばかりの土地でも植物は育たない。

ここにあげた以外でも空・風・火・水・地の働きはたくさんある。どれもこれもエネルギーを生み出すものでもある。

空と風で風力発電

火は火力発電

水は水力発電

地は原子力発電(ウラン鉱山から採れるウラン鉱石を加工することにより原子力発電となる)


空・風・火・水・地は全てこの自然界では必要なモノばかりであり力があるものばかりだ。
しかし、正常な時は私たちに安定した豊かな生活をおくらせてくれるが、ひとたび異常になると多くものを破壊させる力がある。
古代インド人は、自然界にある空・風・火・水・地という人間が生きる上で必要なモノであり力を持つモノが「人間の体の中にもある」と考えたのだ。

それがドーシャだ。

空・風・火・水・地それらが自然界においてどんな働きをしているのかを知る。
そして、空・風・火・水・土が自然界において異常になったときどうなるかを知る。
そして、ヴァータ・ピッタ・カパにあてはめ、自分の身体のどういう働きをするのか、異常になったときにどんな異常が自分の身体の中で起きるのか考える。
そうすれば、少しドーシャを理解できるようになる。

 

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講座やります。ドーシャの話も10月20日(土)に塾長がペラペラしゃべります。

空席残りわずかですので、気になる方は是非お申込みください↓↓

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夏バテ予防のおススメ料理

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

 

ここ数日、関東は少し気温が下がったがマジで暑かった。。

気象庁の発表では今年の暑さは災害レベルと言うほど異常な暑さ。。

塾長は普段はエアコンをかけない生活をしているが、さすがに今年は命の危険を感じてエアコンをつけた。

 

あまりにも暑いと体力を消耗する。

夏風邪を引いている方、イマイチ元気が出ない方もいるのでは?

 

夏はアーユルヴェーダでは季節の中でも身体を一番弱らせる季節だ。

太陽の熱が体力を奪い、消化の火(アグニ)を弱める。

また、冷たい物を食べ過ぎたり、エアコンにあたりすぎたり、涼しい部屋から暑い外へ出入りもドーシャのバランスを崩す原因となり、寝苦しくて寝不足になると体力を低下させる。

さらに、関東は今日は25度、めっちゃ暑い時から10度近く気温差がある。

この気温差も暑さで弱った体には堪える。

食欲も落ち、さらに体力を弱める。

夏は体調が悪くなる原因が山ほどある。

 

そんな身体を弱らせる暑い時期に、何を食べたら良いのだろうか。

日本では夏バテしないように夏に「精」のつくものを食べる習慣がある。

土用の丑の日の「うなぎ」が有名だが、これは夏に売れないうなぎを夏に食べてもらおうという平賀源内のアイデアだが「う」のつく食べ物を食べると夏バテしない、という言い伝えから来ている。

昔は、鰻以外には瓜、梅干、うどん、うさぎ、馬肉(うま)、牛肉(うし)などを食べる習慣があったそうだ。

実は、「うなぎ」はビタミンA、ビタミンD、ビタミンE、ビタミンB1ビタミンB2、ビタミンB6、ビタミンB12といずれも豊富に含み、エネルギー代謝も効率的に行われ身体の調子が整う。またミネラルではカリウム、カルシウムのほかに、鉄や銅も含み栄養が豊富なのだ。

食欲がおち、栄養不足になりがちな夏に「うなぎ」を食べるのは理にかなっているのだ。

インドのスパイスを使ったカレーも消化力をあげ、発汗することに体内にたまった熱を出す作用もあるので暑い時期にはよい。

 

とはいえ、あまりに暑かったり、体力が落ちていると、うなぎもカレーもけっこう重いと感じる時がある。

塾長は辛いのがあまり得意ではないので、インドカレーを食べるときはライスかナンがないと食べられない。

このライスとナンが厳しいのだ。

特に、ナン。好きなんだけとデカすぎる。。

一人で食べに行くと食べきれない。。

 

そこで、塾長は夏の体力の落ちる時期や夏以外でも風邪を引きそうなときによく食べるものがある。

それは、韓国料理の「参鶏湯(サムゲタン)」

韓国料理を研究している友人にきいたのだが、

韓国では夏に熱々の「参鶏湯」を食べるそうだ。

韓国も「医食同源」の国であり、「参鶏湯」は夏バテしないように食べる養生食、滋養食なのだそうだ。

参鶏湯は、若鶏を丸々一羽、もち米、朝鮮人参、ニンニク、ショウガ、ナツメ、松の実、クコの実などをじっくり煮込む。

調理中は味付けは基本せず、食べるときに塩、コショウで各自で味付けをしながら食べる。

良く煮込まれていると骨までやわらかく骨も食べられる。

アーユルヴェーダでも動物の肉や骨の髄は優れたモノとしている。

米は滋養をつけ、朝鮮人参は滋養強壮剤として日本でも有名である。

ニンニク、ショウガ、塩、コショウは消化力を強め、植物の実や種は栄養が詰まっている。

さらに塩は熱中症予防にもなる。

現代栄養学的にもたんぱく質も夏バテ予防には必要。

たんぱく質は、体の細胞、筋肉、血液の原材料となる。

たんぱく質 が不足すると体全体の代謝が落ちてしまう。

ちなみに、うなぎもたんぱく質が豊富。

夏バテをしていると、さっぱりとした素麺と薬味だけ、で終わりにしている方もいるかもしれないが、麺類と野菜だけではたんぱく質不足になり、夏バテの原因にもなる。

参鶏湯は、食事でもあるが滋養強壮の薬だ。

さすがに一人で一羽は食べられないが、最近はハーフサイズを提供してくれるところもあるので、女性ならハーフサイズで十分だろう。

 

ただし、めっちゃめちゃ体力が弱っている時は、参鶏湯も消化に負担がかかる。

また、ピッタが悪化している方にはピッタを余計に悪化させるので、ご自身の身体の調子によって何を食べたらよいか選択してほしい。

 

まだまだ暑い日が続くようなので、夏バテしないように自分の身体をよく観察して養生しながら生活をしょう。

 

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知識・技術・経験は財産

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

たくさん勉強してたくさんの知識や技術を身につけた方、苦しい思いをたくさん経験してきた方は世の中にはたくさんいる。
でも、せっかく身につけた知識や技術、たくさんの経験を活用されていない方がとても多い。
非常にもったいないなぁー、と思う。
大切なお金と時間をかけて身につけた知識、技術、そして、楽しかったり、苦しかったり、悩んだりしながら経た経験は大切な「財産」である。
価値あるものである。
価値あるものであるから眠らせてしまってはいけない。
活かすべきだ。
表に出すべきだ。
そして、それを「お金」に換えるべきだ。

世俗を捨てて出家する人はお金を持つべきではないとされるが、アーユルヴェーダは一般人向けなので、お金を稼ぐことを「悪いこと」とはしていない。
むしろ、積極的にお金を稼ぎ、人生を楽しむべきである、としている。
生活を安定させるのはもちろんだが、心の安定のためにもお金を稼げと言っている。
稼ぐ手段がないと人は不安になる。
心が不安定になることはアーユルヴェーダでは「病気」とされる。

塾長の知り合いで非常に手先が器用な方がいる。
「こんなの作ってー」とお願いすると朝飯前とばかりにササっと作ってくれる。
昔からいろんなものを作ってきた知識や技術である。
お教室に行っても経験から1,2回でコツを覚えてしまい、あっという間に自分のモノとしてしまう。
不器用な塾長にはうらやましい限りなのだが、彼女はいつも不安を抱えている。
「老後どうしょう」「仕事がなくなったらどうしょう」「旦那が病気をしたりして稼げなくなったらどうしょう」という不安だ。
作り方を教えたり、作品を売って稼げば不安はなくなるよ、と他の友達たちに薦められているのに「自信がない」とか「自分はまだまだ」「どうやって教えたり売ったりするかわからない」など、なにかと「やらない理由」をみつけては、なかなか踏み出さない。
そしていつも不安を抱えながら生きている。
自分が抱えている不安は自分で解消するしかない。
人にあれやこれや言われても解消はしない。
最初は自信もないだろう。
やり方もわからないだろう。
でも、せっかく身につけた知識や技術、経験によって不安は解消できることがある。
一歩前に踏み出す勇気をもってほしい。

そして、受け取る側も知識や技術、経験は簡単に手に入れられるものではなく、その方の努力や膨大な時間やお金がかかっていることを忘れてはいけない。

「知識」を教えている友人が嘆いていた。
彼女は生活を切り詰め、子育てをしながら時間をやりくりしながら勉強をし、やっと手に入れた知識を教えながら生活をしている。
まだまだ費やしたお金は取り戻せていない、と言っている。
しかし、そんな彼女の知識をいとも簡単に奪おうとする人がいるそうだ。
彼女が苦労して身につけた知識や勉強のやり方を根掘り葉掘り聞いてきたり、生徒さんからお金をいただいて教えている知識を、なにげない会話から引き出そうとするそうだ。
お金をいただいている生徒さん達にも申し訳ないし、知識という目にはみえないけど彼女にとっては「商品」なので、タダでは売りたくない、と思っているそうだが、子供の学校のママ友らしく強くも言えず悩む、と言っていた。

ヨーガでもアーユルヴェーダでも「不盗(ふとう)」という考え方がある。
文字のとおり「盗んではいけない」という教えだ。
人のお金や物を泥棒はもちろん犯罪なのでやってはいけない。
しかし、お金や物以外でも人の時間や知識や技術、経験も盗んではいけない。
もし、教えてもらうのならば、それなりの対価は払わなければならない。

友だち同士でも同じだ。
知識や技術を教えてもらいたいのであれば、きちんとその旨伝えるべきである。
友だち同士で金銭のやりとりが気まずかったり、相手に遠慮されてしまうのであれば、ランチをご馳走するなり、品物でもかまわないと思う。

教える方も自分の大切な商品を安売りしてはいけない。
それなりの対価を払って覚える知識は、聞く方もそれなりに元をとろうと一所懸命に覚えようとするが、無料の知識や技術はあまり記憶に残らない。
教える方もお金を頂戴して教えるのであれば、それなりの知識を提供しなければならない。
お互いのためでもある。

 

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アーユルヴェーダはあなたの人生については教えてくれない

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

 

アーユルヴェーダに興味を持つ人の中に「自分がどう生きていけばよいのか」「自分はどうあればよいのか」と迷っている方がいる。
アーユルヴェーダは「生命」と「有益な人生、幸福な人生とは何か」を教えてくれる。
アーユルヴェーダは学んでいくことで迷っている人たちに「自分はどう生きていけばよいのか」「自分はどうすればよいのか」ということに気づかせてくれる。
実際に、アーユルヴェーダを学んでいくうちに自分の生き方に気づき、生活習慣や食生活の改善を始めたり、新しいチャレンジを始めたり、考え方がかわったり、となにかしらの変化が起きていく。
出会った頃は何かに迷い、苦しんで暗い顔をしていた子が、アーユルヴェーダを学ぶにつれ悩みや迷いが消えて、生き生きとして清々しい顔に変化してくる。

 

しかし、アーユルヴェーダを学ぶことでアーユルヴェーダや塾長が「あなたは何をしたらよい」「あなたはこう生きていけばよい」という明確な答えをだしてくれると期待する人がいる。
残念ながら、アーユルヴェーダの講座を受けてもアーユルヴェーダは「あなたは何をしたらよい」「あなたはどう生きていけばよい」という明確な答えは出してくれない(もちろん、塾長も占い師でも預言者でもないので人様の人生についてなぞわからない)
アーユルヴェーダが発するたくさんの言葉を自身の力でキャッチして、その言葉から自分にとっての有益な人生、幸福な人生とはなにかと考えなければ答えはでない。
考え、行動することで、自分はどう生きたいのか、人生をどう過ごすか、ということがだんだんと見えてくるのだ。

言葉はボケーッとしていたら流れていってしまう。
言葉は寝ていたら聞こえない。
言葉は読まなければ記憶できない。

アーユルヴェーダから自分の人生や生き方をみつけたいのであれば、アーユルヴェーダが発する言葉を理解する努力と自分で考えることが必要だ。

 

自分の生き方や人生に迷っていて、誰かに答えを出してもらいたい、と色々な講座やセミナーに参加したり、占いに行ったり、先生探しをしている方がいるが、自分の人生は自分だけのものだ。
アーユルヴェーダや占いや他人に自分の人生を決めてもらってはいけない。
それは単なる「依存」であり「逃げ」でしかない。
他人に決められた人生は、出来なかった時、うまくいかなかった時に他人のせいにすることができる。
自分が傷ついたり、苦労したくないから逃げ道を作っているだけだ。
「依存」や「逃げ」はロクな人生にはならない。
極端な例だが、先日、5歳の女の子が虐待している親に許しを請う手紙を書き残し虐待死した事件があった。
彼女の母親は再婚相手に依存していた。
捨てられたくない、不幸になりたくないからと虐待されるわが子を見て見ぬふりをするという「逃げ」に走った。
「依存」や「逃げ」は人としての正常な判断を失わせ、自分と自分以外の人を不幸にする。

自分と自分以外の人を不幸にする人生を送りたいか?
そんな人生を送りたい人などいないはずだ。

迷い、苦しんでもいい。
いろんなことをやってみて失敗してもいい。
アーユルヴェーダを勉強してもいい。
占いに行ってもいい。
でも、最後は自分の生き方や人生は自分でみつけ、地に足をつけてしっかり自分の足で歩かなければ意味はない。
そうしなければ、いつまでも満たされない今のままのあなたの人生が続くだけだ。

 

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誰かのために頑張らない

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

 

誰かのために頑張る。

素晴らしい。

「子供ために頑張る」

「親のために頑張る」

「会社のために頑張る」

「恋人のために頑張る」

...

でも、自分の心に「嘘」をついて頑張っている人達がいる。

我慢をして無理をして、

心や体が悲鳴をあげている。

マジメでいい子で優しい子は特にだ。

やりたくない、心も体もしんどい。

「だけど、私が頑張らないと子供が、親が、会社が、彼氏...がダメになる」と思っている。

それは決して悪いことではない。

責任感がある証拠だ。

 

でも、

無理をしすぎて自分が病気になってしまってもよいのか?

何もかもを自分がやってあげることが相手のためになるのか?

相手の成長や考える力を奪ってはいないか?

他人の仕事を奪ってはいないか?

あなたの心や体が壊れて不幸になったら相手は悲しまないか?

 

とは言っても、やらなければならないこともある。

育児や介護、仕事を投げ出すことはできない。

 

無理せずにやるにはどうすればいいのか。

 

少しだけ考え方を切り替えればよい。

「誰かのために」と思わないことだ。

誰かのために頑張れる人は、

実は、自分がやらないと心がザワザワしたり、心が落ち着かない。

だから、やってしまうのだ。

やらないで自分の心が落ち着かなかったり、

気になって仕方がないのであれば自分の意志でやればいいのだ。

「誰かのために」ではなく、

「自分がやらないと心が落ち着かないからやる」

ただそれだけでよい。

「誰かのために」にと思ってしまうと、

人は人からの評価や感謝が欲しい、という「欲」がうまれてしまう。

「欲」が満たされないと不満や怒りが起きる。

不満や怒りは心や体、もしくは両方に病気を引き起こす。

病気にならないために「誰かのために」ではなく、

自分のためにやるのだ。

アーユルヴェーダでは心のざわつきは病気だ。

 

そして、自分を一番に大切にすること。

自分のことは自分にしかわからない。

体や心に不調があったら、我慢したり、めんどくさがらずにさっさと病院に行こう。

それが、あなたが大切にする人を守ることになる。

 

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