アーユルヴェーダ塾ジュニャーナ塾長日記

アーユルヴェーダについて学ぶアーユルヴェーダ塾ジュニャーナを主催している「塾長」が古典書にもとづいたアーユルヴェーダのお話を日々綴っています。

仕事について考える ~その2~

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

 

前回、インドの仕事事情について書いたのだけど、

アーユルヴェーダのブログなのになぜに仕事の話なの?

と思った方もいるかもしれない。

 

実は、アーユルヴェーダの元祖教科書であるチャラカ・サンヒターには

仕事について触れている箇所がある。

 

例えば、

ダルマ・アルタ・カーマ・モークシャにとって健康はもっとも基礎になるもの、と言っている。この「ダルマ・アルタ・カーマ・モークシャ」というのはインド古来からの働くことの意味や生き方の一つの考え方で人生の4大目的(モークシャはダルマ・アルタ・カーマを行えば、結果モークシャとなるのでモークシャを含めず3大目的という場合もある)と言われている。

人生の目的を果たさなければ解脱ができない、ということである。インドの宗教、哲学、医学の最終目標は解脱なので、人生の4大目的を果たすためには健康でなければならない。つまり健康でなければ解脱ができない、と言っている。その解脱のために健康である方法を教えるのがアーユルヴェーダなのだ。

 

では「ダルマ・アルタ・カーマ・モークシャ」という言葉の意味をひとつずつ探ってみよう。(サンスクリットは一つの単語にたくさんの意味があるのでここでは簡単に訳します)

 

ダルマ

法・道徳・倫理・役割・使命など

人は人生において、ルールや道徳を守りながら生きていかなければならない。また、それぞれの人にはやるべき役割や使命があるので、それらを果たさなければならない、ということ。

 

アルタ

財を得ること、富を得ることなど

お金を稼いだり、富や財産を作り上げること。不正に稼いだお金や人の財産などを奪ってお金持ちになることではないよ。

 

カーマ

愛や願望を叶えること

愛する人と結ばれ子孫繁栄すること。自分のやりたいことをやること。

 

モークシャ

解脱

 ダルマ・アルタ・カーマを余計なことを考えず一生懸命に行えば解脱ができる。3つのうち一つでも欠けたり、欲望に負けたり、文句を言ったり、何も実行しなければ解脱はできない。

 

インドは前回でも書いたけど、生まれながらにして自分の仕事が決まっているので、自分のおかれた立場や仕事に文句など言わずに、自分のやるべきことをやらなくてはいけない、ということでもあるんだけど、この人生の4大目的を現代の私達の「仕事」という観点で考えたらどうなるのか書いていこうかな、と思ってます。

仕事について考える ~その1~

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

 

今回は「仕事」についてのお話。

 

インド人の仕事は、基本的に親の仕事を継ぐ世襲である。八百屋さんの家の子は八百屋さんになる。宗教儀式をする家の子は宗教儀式をすることが一生の仕事になる。トイレ掃除をする親の子はトイレ掃除をする人になる。死体を扱うのが仕事が親の子は、死体が嫌でも死体を扱う仕事をする。それがずっと何世代に渡って続いて行く。そういう社会のシステムなのだ。

現在はだいぶ変わってきたとは言え、まだまだ世襲制は根強く残っている。特に貧困層はほど酷い。裕福な人たちもいるけどインド全体でみたら、裕福な人の方が圧倒的に少ない。

日本にも世襲は残ってはいるけがインドほど酷くはない。親の仕事を継がない人もたくさんいる。

ありがたいことに「職業選択の自由」は日本国憲法でも守られている。

嫌でも親の仕事を継がなければならない人もいるかもしれないけど、ほとんどの人が今の仕事を「自分の意思」で決めている。

それでも、アレコレ不満を言う人がいる。

給料が少ない、仕事が終わらない、雑用ばっかり、楽しくない、上司が無能、部下が働かない、同僚がムカつく、、、

実は塾長もそうだった。どちらかと言うと、かなり不平不満を言っていた方だと思う。

でも、アーユルヴェーダを学び始め、インドの事を調べはじめ、インドの職業事情を知って仕事に文句を言うのをやめた。インドの過酷な労働環境に比べたら文句を言っている自分が情けなくなった。しかも、自分が選んだ仕事なのに、、、

 

仕事を自分で選択できる環境

安全に仕事ができる環境

法に守られて働ける環境

 

日本では当たり前のことだけど、実はとても幸せなこと。

 

今、仕事に悩んでいる人。

下記の動画や記事を読んで。そして、今の自分の状況と比べてみてみたら?

 

https://youtu.be/_BZNK1dE-Ao

 

http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/photo/17/072100174/?ST=m_photostories

アーユルヴェーダを理解するには努力と根性!?

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

 

アーユルヴェーダを学びたい、という方に「なぜアーユルヴェーダを勉強しようと思ったの?」と質問すると「アーユルヴェーダの単発の講座に行ったけどよくわからなかったから」「アーユルヴェーダのスクールに通ったけど、わかったような、わからないよう感じでモヤモヤする」「今、アーユルヴェーダを勉強しているけど何をやっているかさっぱりわからない」というような声をよく聞く。

 

残念ながらアーユルヴェーダは「医学」なので単発の講座や短い期間勉強しても理解することはできない。現代医学だってセミナーや学会に行ったからって医学をすべて理解し病気が治るわけではない。医学用語の知識も必要だし体の仕組みや病気や薬の知識があってこそ理解できる。

 

特にアーユルヴェーダは私たち日本人が持っていないインドの文化や考え方が多く含まれている。言葉も私たちが使わない言葉もたくさんでてくる。その言葉の意味や身体にどう関係するのかを知っていなければ理解できない。

 

近頃「アーユルヴェーダって何?」「アーユルヴェーダって何をするの?」という疑問の答えをその場ですぐに答えを求めたがる人が多い。はっきり言ってそれは無理。例えば「アーユルヴェーダはドーシャをバランスさせて・・・」なんて説明をすれば「ドーシャって何?」って話になる。「ドーシャっての体のなかに流れているエネルギーで、ヴァータ・ピッタ・カパがあって、どうたらこうたら・・・」という話になるし。ドーシャを詳しく説明するにはインド哲学も必要になる。「アーユルヴェーダの究極の目的は「解脱」です」といえば「解脱って何」ってことになる。そうなると宗教観の話もしなくてはならない。その人の知識レベルによってもかわるけど一言でなんて説明できるものではない。

 

アーユルヴェーダを理解したければ、幅広い知識が必要になってくる。勉強がはっきり言って必要!アーユルヴェーダに限らずサンスクリット、ヨーガもインド哲学もそう。インドモノは一日では理解できないし一言で言い表すこともできない。

 

「じゃ、どれぐらい勉強すれば理解できるのか?」と聞きたい人もいるよね。

愕然とするかもしれないが「一生勉強」としか言えない。本気でアーユルヴェーダサンスクリット、ヨーガや哲学を勉強している人に聞いてみると多分同じことを言うと思う。何十年と研究している大学の教授レベルの人でも「完全に理解できていない。まだまだ勉強中」って平気でいう。

 

アーユルヴェーダの元祖教科書のチャラカサンヒターにはこう書いてある。

アーユルヴェーダはこの宇宙を作った最高の神が作った。知識が乏しい人間ではとても理解ができない」とある。私達のような普通の人間の頭レベルではとうてい理解しきれないものなのだ。

 

先日、師匠に「アーユルヴェーダサンスクリットも哲学も一生かかっても理解するのは私の頭では無理!」と弱音を吐いたところ師匠から「勉強し続ければ来世は今世で勉強が終わった所からスタートするから努力し続けろ」とよくわからない慰めの言葉をもらった。それぐらい気が長い話なのだ。

 

でも、理解しょうと努力し続けることで、わからなかったことが少しずつわかってきて楽しくなる(全然わからない時もあるけどね)はっきり言って、講座で講師の話をただ聞いてるだけでは理解できない。自分から知識を積極的に求めないことには知識はやってこない。ホント努力が必要。

 

ヨーガも最初はできないポーズがあったり、インストラクターのようにしなやかな動きはできない。たまにヨガスタジオで体を動かしているだけでは何も変化しない。でも、毎日毎日、家でもコツコツと続けていれば身体が変化してくる。気が付けばできなかったポーズができるようになっていたりする。

 

続けることは根性がいる。できない日もある、やりたくない日もある、体調が悪い日もある。できない日は無理はしてはいけない。無理をすると続けられない。途中でお休みがはいってもいいと思う。でも、途中間が空いても細々でもいいから続けて投げ出さないことが大切。

 

続けていると必ずやアーユルヴェーダやインドモノは何かを与えてくれる。ヨーガなら柔軟な身体かもしれない、ストレスの解消かもしれない、アーユルヴェーダなら健康な身体かもしれない。直接的なことじゃないかもしれない。変化は人によってちがう。塾長なんてただの事務のおばちゃんだったのが、仕事をやめてアーユルヴェーダや好きなインドの話をペラペラとしゃっべっているだけなのに、ありがたいことにお金をもらっている。それも大きな変化だ。

 

逆に努力と続ける根性がなければ何も変化しない。勘違いしている人も多いがアーユルヴェーダの講座に行ったから人生が変わるわけではない。健康になるわけでもない。努力して続ける根性があった人だけに変化が与えられる。

 

でも、これってアーユルヴェーダにしろインドモノだけに限らない。仕事だって同じ。健康だってなんだって同じ。入社したての頃は何もわからないけど、毎日、努力して続けることで、いろんな会社のことや仕事のことがわかってくる。健康も一日だけ健康的に暮らしても健康にはならない。毎日の食事や生活習慣に気を付ける努力をし継続していくことで健康になる。

 

今、アーユルヴェーダやヨーガ、サンスクリット、哲学などを学んでいて「わからない!」って苦しんでいる方、そして、インドモノ以外のことで苦しんでいる方、苦しんだ先に何かがあるからあきらめず投げ出さずにがんばって続けていって欲しいと願っている。

 

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~お詫び~ ブログの記事が一部消えました

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

 

読者の方のご指摘により、ブログの記事が一部消失していることが判明しました(ご指摘くださった方ありがとうございました)

 

復活できる記事は復活しましたが、復活できなかったものもあります。

 

過去の記事がお読みになりたかった方、申し訳ございません。

 

 

 

 

 

 

 

 

アーユルヴェーダの食事 ~香りの強い野菜は食べてはいけない!?~

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

 

たまに「アーユルヴェーダでは香りの強い野菜は食べてはいけないのですか?」と聞かれることがある。例えば、ニンニク、にら、ネギなど...

どの本だったか忘れたけど、そんなことが書いてある日本で売られているアーユルヴェーダの本も確かにある。

アーユルヴェーダをきちんと勉強していない人は書かれていることを鵜呑みにしてしまって、これもダメ、あれもダメ、とダメダメをたくさん作ってしまう。

人は「ダメ」が増えるとストレスになる。そして、ストレスがたまり苦しくなって続かなくなる。もしくは、ストレスがたまり体を壊す人がいる。ごくまれに「アーユルヴェーダをやって体を壊しました」という人がいる。

健康になるためのアーユルヴェーダをやって体を壊すことはアーユルヴェーダを正しく理解していないことである。。悲しい。。

 

話はそれましたが...

 

では、なぜ香りの強い野菜を食べてはいけない、とされるのか?

例えば、ニンニクは現代では以下のような効果があるとされている。

ニンニクは健康になる野菜の代表格。

ネギや玉ねぎも同様に健康によいとされている。

それなのになぜ「食べてはいけない」とされるのか。

 

それはアーユルヴェーダのできた背景や宗教との絡み、インドの食糧事情を知れば、食べて良いか、悪いかがわかる。

 

アーユルヴェーダという医学ができる前は、病気の治療はバラモンが祈祷や呪術を行い、祈りを捧げた植物をくれたりしていた。

それがだんだんと体系化された医学となり、バラモンが医者になるという歴史がある。

 バラモンは神に仕え、様々な儀式を行う人たちである。

神に仕える人たちは様々な決まり事がある。その中には「禁欲(ブラフマチャルヤ)」という性欲をコントロールをしなければならない決まり事がある。

そのために、精力を増強させる作用のある香りの強い野菜を食べてはいけない、とされている。

仏教も同様に五葷(ごくん)といって「にんにく、ねぎ、にら、玉ねぎ、らっきょう」のような香りの強い野菜はつかってはいけない、とされている。そのため僧侶の食事である精進料理にはこれらの野菜は入っていない。ちなみに肉を食べないのも同じ理由である。

それから、土は「不浄」とされている。インドでは浄、不浄はとっても厳しい。土の中でできる食べ物は「不浄」な食べ物とされ、厳しい宗派では人参やごぼうなど根菜も食べてはいけない、というのもある。

また、「不殺生」という「命あるものは殺してはいけない」という決まり事もある。にんにくや玉ねぎは根っこなので、根っこごと食べることは、その野菜の命を絶つことと同じになるので「不殺生」に反するために食べてはいけないとされている。

宗教的な考えとは別に、根菜を食べてはいけない、というのもよくよく考えれば、インドのように激しい気候であったり、ましてや宗教的な考えが出来上あがって来た時代は、食べ物を安定的に得ることができるとは限らない。洪水、干ばつ、飢饉があったかもしれないし、戦争もたくさん起きていたはずである。根っこごと食べてしまうことは次の収穫ができなくなることである。「種(たね)」は残さなければならない。食料を確保するために根菜類を食べないようにしたのではないかとも考えられる。

 

そういったインドの歴史や宗教、食糧事情などを考えれば「食べてはいけない」という理由がわかる。

アーユルヴェーダの食事は、書いてある本をそのまま鵜呑みにしてはいけない。なぜダメなのかと考えなければならない。インドの歴史的、宗教的背景、現代栄養学を考慮し、今の自分の体調などを考えて、今の自分に必要か必要でないかを決めること。そう言った意味では、アーユルヴェーダだけではなく、様々なことを学ばなければアーユルヴェーダを真に理解できないのかもしれない。大変だ、、、

 

アーユルヴェーダで言えば、香りの強い食べ物は辛味が多い。辛味は体を温め、消化力を強くする。消化力が弱っている時には辛味はよい。

最近、暑い日が続いているが、暑さが続くと消化力が弱る。また、エアコンや冷たい物の取りすぎで体が冷えている方も多い。今の時期には香りが強い食べ物はよい。

 

私たちはバラモンではないし、修行僧でもない。やたらめったら性欲を爆発させることはよくないことだが、禁欲まではする必要はない。むしろ、少子化の日本は男女ともに精をつけて子孫繁栄しなければ日本が滅びる。

また、精力があるということは、健康であり元気であることの証明でもある。健康で元気でいなければ私達はよい人生をおくれない。

 

 

注意!

食べ過ぎると下痢や炎症を起こすので、食べ過ぎもよくない。アーユルヴェーダは何事もバランスである。

 

 

 

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~お詫び~ 講座「ゼロからのアーユルヴェーダ」 新規ご依頼の一時中止のお知らせ

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

 

塾長が開催しておりますアーユルヴェーダ講座「ゼロからのアーユルヴェーダ」についてのお知らせです。

 

アーユルヴェーダにご縁のある方だけにお会いできれば、とひっそりと始めた講座でしたが、現在なぜかご好評いただき多くの方からご依頼をいただいております。大変ありがたく心より御礼申し上げます。

 

たくさんのご縁に恵まれ、しあわせな時間を過ごさせていただいているのですが、

困った問題も発生しております。

ご希望が多いため皆様のご希望の日時と、塾長との都合が合わなくなってきてしまいました。

アーユルヴェーダを勉強したい!と思う皆様の強いお気持ちに答えて、皆様の勉強できる日、時間、場所に出向くことが塾長の理念ですが、それをまっとうできず大変心苦しく泣く泣くお断りさせていただいている次第です。。

 

そのため、新規に受講をご依頼される方のお申し込みを「一時中止」にさせていただきます。

 

現在、継続して受講されている方は今までどおり承ります。なんの変更もございませんので、安心してお勉強を続けてください。

また、一度でも受講したことがありお仕事やご家庭の都合などでお休みされている方、また途中で断念した方も今までどおり承りますので、メールにてご希望の日時、場所、時間数をご連絡ください。

 

 

新規のご依頼につきましては9月から再開する予定にしております。

再開の目処がたちましたらブログにてご連絡いたします。

 

7.8月は塾長もアーユルヴェーダサンスクリットインド哲学等の勉強のがんばってやっていきたいと思っておりますので、今までよりも多くの知識を皆様にお伝えできるよう頑張ります。また、停滞気味のブログも更新できるように努力していきますので、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

 

ご質問等ございましたら下記メールアドレスまでお願いいたします。

 ayurvedacramschooljunana@yahoo.co.jp

 

 

体にいいものを食べても病気になる

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

 

アーユルヴェーダを教えていると健康や食にこだわりをもつ人によく出会う。「健康のために野菜は国産の有機野菜で調味料はオーガニックのものを取り揃えています!スパイスもたくさん持っています!」って自信満々で教えてくれる。

それから、こだわりのある方からは「塾長はどんな食事をされていますか?」とこれまたよく聞かれる。アーユルヴェーダを教えているぐらいだから相当なこだわりをもって健康的な食事をしていると思われるらしい。

残念ながら塾長はごくごく普通。むしろ無頓着。

有機野菜とかオーガニックがどうとか気にしない。食材は近所のイトーヨーカドーで買っている。あえていうなら、旬の野菜や魚を選んではいるけど。アーユルヴェーダでも旬の物を食べるのはよいとされているし、旬の物は美味しいし栄養も豊富。それになんてたって家計に優しい。

安いといえば福島県産でも普通に食べる。放射性物質がどうとか言う方もいるけど気にしない。体力も時間も技術も知識もないのでボランテイアなどできないので、福島県産を買って食べることで福島の方々や被災地に少しでもお役にたてるならそれでよいと思っている。福島県産を食べて病気が発症するのであれば、毎日食べているわけでもないし病気を発症する頃には違う病気になっているか死んでるわい!と思っているので気にしない。高い食材を買って家計を圧迫する方がよっぽどストレス。しょっちゅうではないけど、ジャンクフードもスナック菓子も食べる。甘い物も好き。昨日は生クリームとイチゴジャムたっぷりのワッフルをたべて大満足。むしろそういうのが好き、ってことをお話をすると、こだわりのある方は「塾長、信じられない(゚д゚)!」って顔をする。

そんな無頓着でもここ10年近く風邪をひいていない。インフルエンザは生まれてこの方かかったことがない、というのがプチ自慢でもある。体重も痩せもしないけど太りもしない。40歳を超えているので、それなりに疲れたりするけど病気っていう病気はとくにない。

 

健康に気を使い、食にこだわっているのにそれでも病気になる人が世の中にはいる。あれこれ食生活に気を使って食べたいものを我慢して過ごしてきたのになんで病気になるのか、と嘆く方がいる。逆に、塾長のように無頓着で好きなもの食べたいものを食べているのに病気にならない人もいる。

チャラカ・サンヒターにこの点に関してこんな説明をしている。

よい食物だけを摂取している人々には、食物を原因とするような病気は起こらない。しかし、またよい食物を摂っているというだけですべての病気の心配がなくなるというわけでもない。なぜなら、悪い食物を食べることがなくても、他にも病気の原因があるからである。

例えば、季節を誤ること、判断力の誤り、あるいは自分の心身になじまない音、皮膚感触、色、味、香との接触など。これらも病気の原因である。たとえ食物のよいところを摂取しても人を病気におとしいれる・・・

                    (チャラカ・サンヒター 第1巻28章7)

健康によい食物を食べることに超したことはないけど、病気の原因はその他にもたくさんあるよ、と教えている。

アーユルヴェーダはドーシャ(ヴァータ、ピッタ、カパ)がバランスを崩すことで病気になると考える。その理屈で考えると健康によくないとされる食物でもドーシャのバランスを崩さなければ別に問題ないのである。健康によい食物でもドーシャのバランスを崩すものもある。体によいされているものは消化のよいものが多い。消化によいものは軽性である。軽性のもはヴァータを増やす。ヴァータが増えると多くの病気にかかりやすくなり重症化しやすい。それから、感覚器官の使い方を間違えることでドーシャのバランスを崩す。

その他にも場所や季節、食べ合わせ、食物の力、量を誤ること、肥りすぎ、痩せすぎ、肉や血液や骨が十分についていない場合、体力がない、不適当な食物で身体が形成されている場合、栄養が十分に行き渡っていない場合、精神力が不足している場合も病気に抵抗できないとされている。

 

それから、アーユルヴェーダのおもしろいところは、知恵の欠陥よって欲や無知に食物を摂取することはよくないとされていて、判断力の誤りや精神力の不足で病気になると考えるとこ。

巷で流行っている健康食品に飛びつく日本人は多い。それが日本人の自分の体質や日本の季節にあっているのか、そもそもその健康食品を食べる必要が自分にあるのか・・・なんてことを考えもせずに飛びつく。これこそ判断力の誤りだね。正しく判断するには知恵や知識が必要。

それから「こだわりすぎること(執着)」は病気の原因になる。人が何を食べているのかが気になったり、自分はこんなに体にいいものをたべているのに、塾長ったらジャンクフードなんて食べて信じられない、なんて思うことも病気の原因。あと食べたいのに無理に我慢するのもよくない。我慢はストレスがたまる。執着、人と自分を比べること我慢もドーシャが乱れることなのだ。

 

ドーシャが乱れることが病気の原因となるのであれば、どうやってドーシャを乱さないようにすればよいのか?方法の一つとしてはあれこれ気にしないことである。

 

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