アーユルヴェーダ塾ジュニャーナ塾長日記

アーユルヴェーダについて学ぶアーユルヴェーダ塾ジュニャーナを主催している「塾長」が古典書にもとづいたアーユルヴェーダのお話を日々綴っています。

正月そうそう反省

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

 

以前ご紹介した「あるヨギの自叙伝」を久々に読み返してみた。

↓以前のブログ

ayurvedacramshooljunana.hatenablog.com

 

その中にこんな文章があり、反省してしまった。

 

聖典の言葉をたくさん覚えることと理解することは全く別だ。

聖典は一句一句をじっくり味わって身に付けるならば、

霊的悟りを得るための意欲を刺激するうえで役立つが、

単なる物知りになるための研究はいくら積み重ねても、

なまはんかな知識と偽りの満足が得られるだけで、

悟りを得るための役には立たない」

 

アーユルヴェーダは以前にもお話をしたが聖典である。アーユルヴェーダを学ぶことは聖典を学ぶこと。そして、アーユルヴェーダを学ぶことは解脱や悟りのために学ぶこと。

解脱や悟りは塾長にはなんだかよくわからないけど、塾長なりの解脱ってこんな感じってものがある。              

もちろん、そこには達していないし、そこに到達できるとも思っていない。だけど、できるだけそれに近づけるようにはいたい、とは思っている。

それなのに・・・それなのに・・・・

最近、教えることやブログを書く事に必死になってしまい、アーユルヴェーダのドーシャがどうとか、食事がどうとかの物知りになるためだけ、頭でっかちになるためだけの知識ばかりのことに気を取られてしまい聖典の一句一句をじっくり味わっていない!と猛烈に反省してしまった。。おまえ、そんなんでいいのか?おまえがアーユルヴェーダについてみんなに話したいことはそんなことだったのか?と渇を入れられた気がする。

 

アーユルヴェーダの講師やセラピストの方、頭でっかちになっていないか?見せかけの知識を生徒さんやお客様に与えていないか?

 

アーユルヴェーダを現在学んでいる方、ドーシャや健康だけのことだけではなく、アーユルヴェーダの深い深い知性を味わっているか?

 

アーユルヴェーダは自分を知ること。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瞑想できなきゃ掃除しろ!?

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

ここ数年、瞑想がブームになっている。チャラカ・サンヒターでも瞑想はおすすめされている。瞑想の何がよいのかは、瞑想・効果で検索してもらえればたくさんでてくるのでそちらを読んでみていただければと思う。

今回は瞑想できない人のお話。

アーユルヴェーダの講座をやっているといろんなお悩みや問題を抱えた人が少なからずやってくる。悩んでいる人のほとんどが頭の中が整理できていないことが多い。自分で答えがだせなかったり、自分の考えに自信がないから大丈夫だよ、間違ってないよと言ってほしくていろんな人に話まくる人もいる。

だけど、人に話すことで余計にいろんな思いが湧き出てしまったり、人の話を聞きすぎて余計に頭が混乱してしまう。頭の中で考えがグルングルンしてしまって、ますます自分が何がしたいのか、どうしたいのかわからなくなる人がいる。

そんな方に「瞑想」をアドバイスする。とりあえず自分の部屋で起床後でも寝る前でもいいから必ず毎日静かに目を閉じて頭の中のグルングルンをストップさせて、と言ってみる。

 そして、次に会った時に「瞑想できた?」と聞くとたいていの方は「できませんでした。余計に頭がグルングルンしてしまって・・・」って言う。そういう方に塾長は「ご自身の家や部屋はきれいに片付けられてる?ちゃんと掃除してる?」って聞くことにしている。たいての方は「悩み事が多くて部屋の掃除なんてとてもできません。散らかっています。とてもじゃないけど人にみせられる家じゃないです」って言う。

気がついたことがある。

瞑想ができない人は部屋が汚い。そして、部屋が汚い人、物を多く持っている人ほど悩みが多くて問題を解決できないっていう確率がかなり高い(例外ももちろんあるけど・・・)わかりやすいのがテレビなどでいろんな問題を抱えた人たちの家が映ることがあるけど、そういう人の家ってたいてい汚い。物が溢れかえっていて掃除もまったくできてない。ゴミ屋敷問題をよくテレビでやっているけど、家主の主張なんて何言ってんだかさっぱりわからない。ポリシーがあるのかもしれないけど、頭の中で整理できてないから口に出すと訳がわからないことを言っている人になる。そして、伝わらないからキレたり暴れたりする。会社でもデスクが汚い人は仕事できない確率が高い。以前、損害保険関連の仕事をしたことがあって、水漏れや盗難などの事故があった家の写真を大量にみることがあったのだけど、問題が発生する家はたいてい汚い。被害が大きいほど汚い。例えば、流しに食器を洗わずに溜め込んでいて、留守中にペットがいたずらして蛇口の水を出してしまい、食器が溜まっているから水が流れずに流しから水があふれてしまったり、お風呂場の排水口の髪の毛をとらなかったから、お風呂の水を流したら水が溢れて脱衣所まで水浸しになって下の部屋まで水浸しにしちゃったとかね。ちゃんと洗い物をしたり、掃除をしてれば起きないような問題を起こすんだよね。

話がそれたけど、瞑想ができないんだったらまず自分の部屋を掃除して、って言っている。日本の瞑想でポピュラーなのはお寺でする坐禅があるけど、お寺だと集中できるっていう人も多い。なんでお寺でできて、家でできないかっていうと、理由の一つとしてお寺って綺麗だから。きれいにお掃除されていて、仏様の前もお供物とか仏具があるけど、ピカピカに磨かれて整頓され雑然としていない。人の心はほとんどが視覚によって影響を受けている。きれいに掃除され整えられた空間を見ることで、気持ちがさっぱりするし気分が良くなり落ち着くから瞑想しやすい。神社も同じね。

自分の身の回りの汚さや雑然さは自分の頭の中だと思ってほしい。頭の中は目に見えないけど、部屋の汚さや雑然さは目に見える。目に見える目の前の物すら整理できな人が目に見えない頭の中を整理するなんてできやしない。目の前の「片付け」という問題も解決できない人がややこしい問題なんぞ解決できない。

掃除も一種の瞑想であり修行でもある。あれこれ考えずに黙々とひとつのことに集中して片付ける、床をきれいに磨き上げる。必要なもの、必要でないものをただ仕分ける。捨てたり、整理して箱にしまったり、飾ってみたりする。そうすると不思議なことに頭の中が整理されてくる。今の自分にとって何が必要で何が不要なのかが見えてくる。掃除をしているうちに頭の中も整理されてくる。悩みが多い人は瞑想より掃除をした方が頭の中を整理しやすいんじゃないかと思う。

瞑想は毎日やらないと効果がないそう。毎日、朝夕20分必ず何があっても瞑想しろ、って瞑想の先生に言われた。毎日、朝夕20分って相当気合いれてやらないとできない。仕事があったり用事があればできない日もある。毎日なんてできない!って先生に文句を言ったら、朝夕たった20分の時間も作れないようなら、目標や願望の達成、問題の解決、ましてや解脱なんてもっとできないってバッサリ切られた。

でも、瞑想はできなくても掃除ならできそうじゃない?一気に掃除すると疲れちゃうから一日10分だけ必ず片付けをする、食器は使ったら必ず洗う、郵便物は受け取ったらすぐ開封していらないものはすぐ捨てる、トイレは毎日掃除する、なんて自分で決めてコツコツ必ずやる。それすらできないなら、一日一個なにかを捨てるでもいい。それが積み重なれば、時間がかかってもだんだんと部屋もきれいになっていく。そして、それが毎日できるようになると自然と瞑想もできるようになってくる。というか、お寺や神社みたいに部屋がきれいになると自然と瞑想したくなってくるか、瞑想に頼らなくてもよい生き方ができるようになる。

 

悩みが多い方、瞑想ができないかた、だまされたと思って掃除してみてら?

 

 ↓参考図書。掃除は「心を磨くこと」と書いてある。響いた。

 

お坊さんが教えるこころが整う掃除の本

お坊さんが教えるこころが整う掃除の本

 

 

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悪い習慣をなくすには・・・

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

新しい年を迎えて2017年の目標や抱負をたてた方も多いのでは?

「今年こそは怠惰な生活をやめて早寝早起きをするぞ!」

「今年こそは暴飲暴食をやめて痩せるぞ!」・・・などなど。

悪い習慣をやめて、よい習慣を始めようと決意した方もいるのでは?

新年も数日たったけど、その決意今日も続いている?

すでに挫折しちゃった方もいるんじゃないかな。元旦には気合をいれて早起きしたけどダラダラとお正月特番のテレビをみて、寝るのが遅くなって早起きができなかったり、おせち料理やお雑煮をたらふく食べて、お屠蘇を飲みまくったり・・・

新年早々「あぁぁぁ~、なんて自分ってダメなんだぁ~_| ̄|○」って凹んでいる方もいるのでは。。

 

人間はなかなか習慣をかえられない生き物。生き物は変化を嫌う。環境が変化したときに、それ元に戻そうとする作用が自然に働いてしまう。これをホメオスタシスっていうのね。ホメオスタシスがないと生き物は生命を維持できない。例えば、暑い日に熱いラーメンを食べると汗がでる。これは、上昇した身体の温度を下げるために 汗をかかせて身体を冷やそうとするために働く。ホメオスタシスもないと困るのだ。

生き物は生きるために心身ともに心地よい状態を保つためにできている。悪い習慣はその人にとって楽しくて心地よい状態や快楽になっている。ダラダラと深夜番組をみてゲラゲラ笑っているのも楽しいし二度寝は気持ちいい。美味しいものを食べたり、お酒を飲んで騒ぐのも楽しい。身体や心は常に楽しくて心地よい状態でいたい。でも、それが良いことか悪いことなんか身体自体は判断できない。わかりやすいのが薬物。身体に良いことなんてひとつもないけど、強い快楽を得るために薬がどんなに身体に悪くても身体が薬物を欲して薬物中毒になっていく。

でも、不健康なことが本来の心地よさや快楽ではない。見せかけの心地よさや快楽でしかない。

見せかけの心地よさや楽しさや快楽から抜け出すにはどうしたらよいか。まず必要なのは「知性」!厳しい言い方だけど、やめられない悪い習慣がある人は自分の知性が足りないと思ってね。知性があり正しい物事の判断ができれば、自分が今やっていることの良い悪いが判断できるはず。知性を得るにはアーユルヴェーダでは聖典を学ぶこととなっている。別に聖典ではなくても健康に関する知識を学ぶもよし、習慣をみにつけるための本も読むもよし、自分に合う方法を見つけたらよい。

それから、アーユルヴェーダでは不健康な習慣を徐々に減らし、健全な習慣を徐々に増やしていくと、不健康な習慣は永遠になくなり、健全な習慣は永遠なものになる、とされている。不健康な習慣をやめることも健全な習慣をとりいれることも急にやってはいけない。習慣を急激にかえると身体や心に大きな危害をもたらすと言われている。なにか変化をする時は、ゆっくりやっていかなければならない。急激な変化は身体にも心にも大きなストレスになり、余計に悪い方向に行ってしまう。

 

チャラカ・サンヒターには以下のように説明されている。

賢明な人は、不健康な習慣を少しずつやめ、健康な習慣を順次取り入れていくべきである・・・1日目に不健康な習慣を1/4捨て、その代わりによい習慣を1/4とりいれる。2日目は元の状態に戻して、3日目に不健康な習慣を半分捨てて、健康な習慣を半分とりいれる。4日目も3日目と同じにして、5日目は1日目に行った状態に戻す。6日目には不健康な習慣を3/4捨て、健康な習慣を3/4とりいれる。これを8日目まで続け、9日目には再び3日目の状態に戻す。10日目は不健康な習慣をすべてやめて健康な習慣のみ行う。それを13日目まで続け、14日目には、再び1/4だけとりいれる。そして15日目以降はよい習慣のみ行う。

                      チャラカ・サンヒター第1巻7章36-37

 

ちょっとめんどくさいけど「賢明な人」はゆっくり悪い習慣をやめて、ゆっくり良い習慣をとりいれろ、って言っている。10時に起きていた人が「明日から6時に起きるぞ!」なんて言っているのは賢明な人じゃないのだ。ようするにおバカな人なのだ。いきなり早起きをしたり、いきなり絶食したり、いきなり禁酒したりしない。30分ずつ早起きしてみるとか、食べる量を少し減らしたり、毎日飲酒をしているのであれば週一回の休肝日を作るとか、ゆっくりと身体や心の状態をみながら変化させていく。よい習慣が楽しく心地よくなければ続けることはできない。ムリをすることをアーユルヴェーダは推奨していない。

そして、できない場合にはできない理由を考えること。早起きができないのは、疲れがたまっていて身体が休みたいと言ってるのかもしれない。自分の体力にあわない動きや仕事をしている場合もある。空腹が我慢できないのは栄養が足りないのかもしれない。ちゃんと食事をとっていないのかもしれない。お酒が我慢できないのは大きなストレスがあるのかもしれない。できないのにはできない理由がある。できない理由をさがすことが自分を知ることになる。アーユルヴェーダは「自分を知ること」と塾長は何度も言っている。

新年早々できない自分に凹んでいないで、できない理由をさがして根本的な問題をみつけてそれを取り除く。そうしたら、できないこともできるようになる。そして2017年がかわり、人生もかわっていく。よい一年の積み重ねが、よい人生、よい一生となるのだ。

 

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新年のごあいさつ

新年明けましておめでとうございます。

アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

 

昨年から始めたこのブログもとくに宣伝することもなくひっそりと始めたにもかかわらず、多くの方にお読みいただきました。大変感謝しております。

受講の希望のお問合せも多くいただております。アーユルヴェーダが日本でも関心が高くなっていることを実感しております。

今年はできるだけたくさんのアーユルヴェーダの正しい知識を発信していけたら、と思っております。

読者の皆様がアーユルヴェーダを学び、実践することで、素晴らしい楽しい一年、そしてよりよい人生になりますよう心より祈念しております。

本年もどうぞよろしくお願い致します。

 

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インド哲学はアーユルヴェーダやヨーガの勉強に必要ない?

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

 

アーユルヴェーダやヨーガはインドの「哲学」が重要な土台となっている。

 哲学をしらなくてもアーユルヴェーダは実践はできる。哲学を知らない人がヨーガのポーズをしちゃいけないなんて決まりもない。アーユルヴェーダのセラピストやヨーガのインストラクターでも哲学を知らない人はいる。そんなものは必要ない、と言っている人もいる。(塾長はそういう人たちを否定するつもりは一切ないので誤解のなきよう)

ただ、アーユルヴェーダやヨーガを学び、実践するのにインドの哲学を知らないとハッキリ言ってアーユルヴェーダもヨーガも体だけのただの健康法でしかない。ただの健康法としてアーユルヴェーダやヨーガを生活に取り入れたいならそれでよい。小難しい哲学なんてやる必要ない。それはその人の選択の自由。

 哲学を知っていた方がよりアーユルヴェーダやヨーガを深~く理解できておもしろいし、大げさだけど人生がかわる。知っていたほうが役に立つ。

 例えば・・・アーユルヴェーダもヨーガもハイスペックなパソコンと仮定する。

ハイスペックなパソコンを持っていてもネットでヤフーニュースをみるぐらいのパソコンの知識しかなかったら宝の持ち腐れ。でも、いろんなパソコンの知識をもっていて、あれこれと使いこなせればとっても便利。世界中の人とつながることができるし、パソコン一台で起業することだってできる。世界が広がる。ハイスペックパソコンでも十分ネットサーフィンはできるけど、パソコンの力を最大限に発揮させて仕事を効率化させたり、起業するにはパソコンのいろんな知識が必要になる。アーユルヴェーダもヨーガもちょろっとした知識でも使えるけど「哲学」という知識を知ることで、アーユルヴェーダやヨーガの力を最大限に引き出して使いこなせるようになる。そして、すっごい世界が広がる。

パソコンもそうだけど使いこなすための知識というのは難しい。インドの哲学も難しい。最初は何がなんだかさっぱりわからない。だから挫折しちゃう人も多いし、受け入れられない人も多い。けど、さっぱりわからないことを探求していくのが哲学。しかも、インドの哲学は探求することで「解脱や悟りを開く」という考え方なので、完璧に理解できたら「解脱」することになる。簡単にそのへんの人間がそこまで到達できないものだから「哲学なんぞさっぱりわからん!」でかまわない。でも「わかんない」で投げ出したら意味がない。必要なのは「知ろう!」っていう気持ちと努力。気持ちと努力があれば、インドの哲学はいろいろなことを教えてくれる。興味があれば大学の哲学科を受験したり、師匠をさがして深く探求すればいいけど、アーユルヴェーダやヨーガをやるなら、どういう「考え方」がアーユルヴェーダやヨーガには土台にあるのかってことぐらいせめて知っていた方がいい。

 

インド哲学を学ぶと考え方や物事の捉え方がかわる。物事のみかたがかわると自分の世界がかわる。今まで見えてなかったことがたくさん見えるようになる。いろんなことが見えてくると、自分の行動がかわる。行動がかわると人生もかわる。 

アーユルヴェーダやヨーガはだたの健康法ではない。体もかえてくれるけど、生き方も人生もかえてくれる。けど、深く知るためには深く知るための必要な知識がある。それを学ぶか、学ばないかはあなた次第です!

 

アーユルヴェーダの食事 〜食べ物の差別と執着〜

こんにちは。アーユルヴェーダ塾 ジュニャーナの塾長です。

 

アーユルヴェーダに限らず健康に意識が高い人は食べ物に対しての意識も高い。身体に良い物を調べ、積極的に摂り入れている。とても素晴らしいね。

 

けれど、残念なことに意識が高すぎてアーユルヴェーダから離れてしまっている方がいる。

以前書いたヨーグルトやキノコがアーユルヴェーダでは身体にダメと思い込んでいる方、肉はダメ、アレは身体に悪い、コレはアーマが溜まる、ソレはヴァータを悪化させる...などなど 体に悪いと言われているものは絶対に食べない人。

逆に、無農薬野菜、スパイス、ギー、非加熱はちみつ、ココナッツオイル、チアシード...などなど 体に良い(といわれる)ものしか食べない人。

 

アーユルヴェーダでは「薬にならない物はこの世にはない」としている。

 

例えば、お酒。お酒は体に悪い物のように扱われ、健康意識が高い人はお酒を飲まないひとも多い。けれど、日本でも昔から「酒は百薬の長」というし、量や節度を守って飲めば薬になる。アーユルヴェーダでも酒は特に禁止していないし、治療薬として使う場合もある。

食事をしないで酒だけを飲む、飲み過ぎる、いつまでもダラダラと飲み続けるなどは体に悪影響を及ぼす。そして、人の悪口を言ったり、愚痴を言いながら飲むのもよいお酒の飲み方ではない。好きな人や気の合う友人達と楽しい会話しながら、量や節度、自分の体調、飲む時間、季節などを考慮すれば酒はストレスの発散にもなり体に良いものになる。

 

逆に、良いものとされているの摂取方法を間違えれあば毒になるとされている。病気を治してくれる薬も飲み方を間違えればアレルギーがでたり、最悪な場合には死に至ることもある。世の中で体によいとされているもの、スパイス、ギー、非加熱はちみつはアーユルヴェーダでは良いとされてるものも摂取の仕方を間違えれば毒となり体に悪影響を及ぼす。

 

それから、アーユルヴェーダを実践する人で陥りやすい食べ物のの間違いもある。「○○は私のxx体質によいから○○を食べてます」と言う方がいる。けど、ドーシャは相反する。減らしたいドーシャに良いものを食べ続ければ、別のドーシャが悪化してくる。例えば、少し前にココナッツオイルがブームになったけれど、ココナッツオイルはピッタを鎮静させるけど、冷たい性質、油性という性質なのでカパを悪化させる。

 

何が言いたいかというと、食べ物に良いも悪いもないのだ。勝手に人間が体に良いとか悪いとか決めつけて「差別」しているだけなのだ。

 

ただ「区別」は必要だけどね。

とある生徒さんにアーユルヴェーダでは「冷凍食品の野菜はダメなんですか?」と聞かれた。彼女は子育て中のシングルマザーでお子さんの教育費と生活費を稼ぐためにがんばって働いている。仕事をしながらの育児は時間に追われていて、仕事が終わって夕方にスーパーにいくと、欲しい野菜が売り切れていたり、品物が悪いものが売れ残っている。保育園のお迎えの時間もあり、つい冷凍野菜に手がのびてしまう、とのこと。しかも、今年は野菜がバカ高くて手がでない。そのママさんと一緒にすごく食べ物に対して意識が高い女性も受講していて、彼女はオーガニック野菜や体に良いとされるもののしか食べないタイプ。彼女はそんのママさんの話を聞きながら「冷凍野菜なんて信じられない!」って顔をしていた。

たしかに、アーユルヴェーダでは新鮮なものを食べなさい、といっている。アーユルヴェーダの本には冷凍食品はよくない、と書いてある本もある。だからといって、冷凍野菜を「差別」してよいのか?

栄養士の友人に「冷凍野菜は体によくないのか?」と質問してみた。野菜を食べないよりかは「冷凍野菜」でも食べたほうがいい、と言っていた。冷凍野菜は「旬」の安い時期に大量に業者が購入し、急速調理・冷凍しているので、季節のはずれで栄養価の低い野菜や、長い流通の過程で鮮度の落ちた野菜を食べるより栄養価が高いそうだ。

毎食、毎食、すべての物を冷凍野菜に頼るのは問題だけど、上手に使えば冷凍していない野菜よりもメリットがある。ママさんも全て冷凍野菜をつかっているわけではなく、ちゃんと子供のことを考えて、食事を忙しい中でもやりくりしながら一生懸命に愛情を込めて作っている。そして、食事中は子供とその日にあった出来事を話して笑いあったり、お休みの時は、芋掘りに言ったり、みかん狩りに行って、その場で採れた物を食べたりしている。豆苗やカイワレ大根などの食べ終わった野菜を水栽培しながら工夫しているのだ。

逆に、体にいいもの好きな女性は、高い食材を買って作って食べてはいるものの、彼氏もおらず、友達と外食にもいかないそうだ。本人いわく、どんな食材を使っているかわらかない所で食べるのが嫌なそう。多分だけど、彼女のこだわりが強すぎて、友達が食事に誘ってくれないのが現実ぽいけど。。家で一人でスマホやテレビをみながら一人で食べているそうだ。

どちらが体に良い食事をしているのか?どちらが幸せな人生をおくっているのだろうか?アーユルヴェーダでは幸せな人生おくるためのものでもある。

 

それから「これは体に良い、悪い」ということや、体にいいものばかり食べること、アーユルヴェーダに限らず他の健康法にどっぷりはまりこだわりすぎることは「執着」でもある。アーユルヴェーダでは「執着」は病気である。体に良いことをしているつもりでも「執着」で体に悪いことをしている。

 

体や健康のために意識が高いことは悪いことではないけれど「差別」や「執着」になってはいないだろうか?

 

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アーユルヴェーダの食事 〜キノコは食べてはいけない⁉︎〜

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

最近「キノコはアーユルヴェーダ的には食べてはいけない食べ物ですか?」とよく質問される。

「キノコ」は現代的には、食物繊維が豊富で低カロリー、ビタミンDが豊富で健康に良いとされ、抗がん作用もあるとも言われている。味も美味しいし、価格も安いしいろんな意味で優秀な食材の一つである。そんな優秀な食材のキノコがなぜアーユルヴェーダではよくないとされているのか?

アーユルヴェーダではキノコ(菌類)は、アーマ(未消化物)を溜める、アレルギー症状がでる、意識に傘をかぶせるので解脱の道を邪魔する、なんて言われている。こんな風に言われると、素直なアーユルヴェーダ実践者はすぐにキノコを毛嫌いして食べるのをやめてしまう。

食べ物を毛嫌いする前に、なぜアーユルヴェーダではキノコが食べない方がよいとされているのかを考えて欲しい。

 

キノコはご存知のとおり「毒」のあるキノコもある。毒キノコか、食べられるキノコかを見極めるのは相当難しい。うっかり食べたら死んでしまう毒キノコもたくさんある。前回のヨーグルトの時にも書いたけれど、アーユルヴェーダのできた時代は、人々の死は国の存亡にも関わるので「死」の危険性がある食べ物は食べて欲しくないわけだ。

最近は写真を撮って毒キノコかそうでないかを判別してくれるスマホアプリがあるそうだけど、アーユルヴェーダのできた時代は、そんなアプリはもちろんないし、キノコ図鑑があるわけでもないので神の教えでもあるアーユルヴェーダで「食べない方がよい」としてみんなが食べないように注意を促した可能性が考えられる。

それから、キノコの中には「催眠作用」や「幻覚症状」があらわれるキノコもある。こういったキノコが祭祀をするのに重要になってくる。アーユルヴェーダの元になるヴェーダの宗教では、聖仙(リシ)といわれる人達が「ソーマ」という霊薬を飲んでハイな状態になり、ふつうの人が聞けない神の声を聞いてこの世に伝えるということをしていた。その霊薬が「ベニテングダケ」というキノコを圧搾した抽出物だったのではないか、という説がある。

ベニテングダケを食べると酩酊状態になったり、多幸感が得られたり、幻覚があらわれるとされている。現代人はハイになっている人がいたら「やばいヤツ」と思ってしまうけど、昔の人からしたら、幻覚症状が出て神の言葉らしきことを言っていれば「これはすごい」と信じてしまっても仕方がない。

祭祀ができる人というのは特別な人たちでもあり、時代を経てカースト制度の一番上の階級になっていく。しかも、リシたちは経済活動をしていなかったので、祭祀の時のお布施などで生活をしていくので、ありとあらゆる人たちがキノコを食べて「ハイ」な状態になって神の声を聞こえてもらっては困るのだ。なぜなら自分たちの特別性がなくなって失業の危機になってしまうからだ。そのため、自分たちの職を脅かされないように「キノコ(菌類)は食べない方がよい」とした可能性も考えられる。しかも、ベニテングダケは味は美味しいらしいので、みんなが美味しいことを知ってしまって、たくさん食べられてしまい取れなくなっても困るわけだ。そういう時代背景を考えると、なぜキノコが食べてはいけないか、という理由を自然と理解できるはず。

 

日本はキノコ大国でもある。山が多く、雨もそこそこ降り夏は高温多湿なので、キノコが繁殖しやすい環境である。日本人にとってはキノコは珍しい食べ物ではなく、ごくごく当たり前に食べている。焼いたり、煮たりする以外にも、出汁として使ったり、乾燥させて保存食として食べ、命を繋いできた歴史がある。

何度も言うけれど「食べ慣れたモノを食べること」「その土地のモノを食べること」を推奨しているアーユルヴェーダ。キノコを食べてはダメなのか、良いのかは自分で判断してください。

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↑ベニテングダケ(けっこうかわいい)