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アーユルヴェーダ塾ジュニャーナ塾長日記

アーユルヴェーダについて学ぶアーユルヴェーダ塾ジュニャーナを主催している「塾長」が古典書にもとづいたアーユルヴェーダのお話を日々綴っています。

アーユルヴェーダの目的 その2

アーユルヴェーダ

こんにちは。アーユルヴェーダ塾 ジュニャーナの塾長です。

 


前回はアーユルヴェーダを実践している方やいろいろな健康法を試している方に「なぜそれをやっているの?」という質問をしたね。アーユルヴェーダや健康法を実践している目的はわかったかな?


アーユルヴェーダの目的はズバリいうと「解脱(げだつ)」!!!
アーユルヴェーダは医学だから病気を治すこと、病気予防、健康維持が目的かと思っている人もいるかもしれないけどアーユルヴェーダの究極の目的は「解脱」なんだよ。

 


チャラカサンヒターにはこのように書いてある。


「法(ダルマ)・財(アルタ)・愛(カーマ)・解脱(モークシャ)にとって健康は最大の根本であり、病気はそれ(健康)と幸福な生活を破壊するものである(インド医学概論 矢野道雄著)」


これはインドの考え方で人生の四大(もしくは三大)目的と言われているもの。これも超~いい話なのでいつか詳しく説明するけど、長くなるので割愛させてもらって、簡単にいうと、法は役割や使命という意味もあるんだけど、自分がやるべきことをやって、守るべきるルールを守って、きちんと働いて正しくお金を稼いで、誰かを愛したり、愛されるたりしないさよ。そういう生き方をしているとあれこれ苦しいことがあったり、学ぶことがあったりして、いろいろなことを学習して知恵や知識をつけ、そして人間の生きる最終目的が「解脱」なんだよ、って教え。


仕事するにも健康じゃないとできないよね。病気だと仕事もできないし、あっちこっち痛くて苦しい時に人に優しくなんてできないじゃない。やるべきことをしないと「解脱」できないから「解脱」を邪魔する病気にならない方法を教えてくれるのアーユルヴェーダなのね。

ちなみにヨーガの目的も同じ「解脱」ね。「解脱」するやり方がアーユルヴェーダとヨーガは違うだけで目的は一緒。ボーズをとって体を引き締めたり、汗かいてデトックスするのがヨーガじゃないからねー(あっ、また余計なこといっちゃったー (´д゚`ll))

 

余談だけど「解脱」とか言うとアーユルヴェーダは宗教とか怪しんじゃないかとか、塾長は怪しげな集まりに勧誘しょうとしているんじゃないかとか、壺を買わされるんじゃないかと思われてしまうかもしれないけど、塾長は特定の宗教団体に入っているわけじゃないし教祖でもないから安心してねー。


じゃ「解脱」ってなんなのかっていうとこれは非常に難しい。塾長は宗教家でもないし、そもそも「解脱」してないので「解脱」がなんなのかよくわかんない。どちらかというと「解脱」にはほど遠い所にいる気がするし( ̄◇ ̄;)塾長なりに「解脱」ってなんなのかと調べてみたところ、インド的考えだと「神と一体になること」が解脱なんだって。これも詳しく話はじめるとインド哲学とか難しい話になってくるから割愛するけど、修行や苦行をして自分が神となることが「解脱」である、って考えているらしい。

神様になるにはけっこう大変そうだよね。時間もかかりそうだよね。。神様になるためには学習したり修行したりがんばらないといけないから、体を健康にして病気ならないようにアーユルヴェーダを実践することが「解脱」への近道になるわけよ。チャラカサンヒターには早いとこ神様になるために病気にならない方法が書いてあるのよ。


でもさぁ、日本人が「神と一体なることを目指してます!」なんていうと怪しいやつにしか思われないし、ヒマラヤへ行って修行するわけにもいかないじゃない(もちろん目指したい方は目指してもいいけど。。)ちょっと現実的じゃないよね。特定の宗教を信じている方は、もちろんその宗教の「解脱」を目指せばいいけど、そうじゃない人はどうすればいいかってぇと、自分なりの「解脱」をみつけてそれを目標にすればいんじゃないかと思う。

神様になることが「解脱」であるならば、神様をイメージしてみるとか。日本人がイメージする神様は仏様とかマリア様とかかなぁー。優しい微笑み、包み込んでくれるような愛が深そうなイメージだよね。不健康そうでもないよねー。性格悪そうな顔してやせてガリガリで不健康そうなきったないマリア様なんて嫌よねー(;´д`)イライラしたり怒ったり、悪口いったり、イヤミ言ったり、あれこれ悩んでいる仏様も嫌だよねー(・_・;)見た目じゃなく、自分が思う神様をイメージして目指すことがも「解脱」の道になるとじゃないかなー。

あと「神様」とか嫌な人もいるよね。塾長もそうだけどオ○ム真理教の事件を知っている世代なので(年がバレるね(^^;))、インドとか解脱とか神様とかいうとちょっといい感じがしないよね。神とか言わないとすると「無判断であること」なんかも「解脱」なんじゃないかと思う。人は生きているとあれこれ判断しているんだよね。判断するからいろいろ悩んだり、人と比べたりしているわけだ。「あの子は私よりブスなのにモテる」とか「仕事できないくせにあいつの方が出世してムカつく」「あの子は私よりいい服を着てる」とか「あの子は痩せていて、私はデブ」とかそういうのも判断しているから、イライラしたり腹が立ったりするんだけど、もちろん善悪の判断はしないといけないけど、「あれはいい、これはダメ」っていう判断するからふりまわされているんだよね。仏教的な解脱も「煩悩」をなくしなさいっていうじゃない。判断しなければふりまわされないわけよ。だからあれこれ判断しないのも「解脱」なんって考えられないかな?「無判断」はただボーッとなんにも考えないことではなくて、「良いも悪いもない」「これはこれ、それはそれ」「人は人、自分は自分」「あっても幸せ、なくても幸せ」「過去も未来もない今は今」って思うことで、妬み、苛立ち、悲しみ、不安なんていうマイナスの感情から開放されることも解脱のひとつなんじゃないかなー


解脱って「至高の幸福」なんていう人もいる。「至高の幸福」って超ハッピーってことだよね~。超ハッピーてなんだろ?お金がたくさんあること、彼氏がいること、欲しいモノが手に入ること、やせてきれいになること、おいしいものがたらふく食べられること、、、いろんなハッピーはあるかもしれないけど、じゃあお金がなくなったら、彼氏がいなくなったら、欲しいモノが手に入らなかったら、年をとってシワクチャババァになったら、おいしいものが食べられなくなったら不幸になっちゃう?お金がなくてもハッピーな人はいるし、彼氏がいなくてもハッピーな人もいるよねー、デブでも幸せそうな人はいるよね、歳をとったらみんな不幸かな、モノがなくても幸せなんて人もいるよねー。むしろない方が幸せこともあるよね。物とか人とかなにかに縛られずに生きることが超ハッピーで「解脱」であるとしたら、あなたの超ハッピーってなんだろうね?

人により思う「解脱」ってちがうと思うんだわ。それに「解脱」なんて一般ピープルが簡単にできるもじゃない。でも、アーユルヴェーダの究極の目的は「解脱」なので、あなたなりの「解脱」や「最高の幸せ」について考えて欲しい。それは自分のあり方や生き方を考えることだから。それもアーユルヴェーダを学ぶことでもあるよ。
「これが私にとっての「解脱」だ!」と思ったらそれを目的として欲しい。オイルマッサージとか舌の掃除、白湯を飲むこと、スパイス料理を食べること、ハーブを飲むことがアーユルヴェーダの目的ではないからね。そういうことは「解脱」をするための手段でしかないから。自分の思う「解脱」への道が病気によって邪魔されないようにアーユルヴェーダを実践するのが本当のアーユルヴェーダの実践になるからね。

 

あなたが思う「解脱」、あなたが思う「最高の幸せ」を教えてくれたらうれいしわ。