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アーユルヴェーダ塾ジュニャーナ塾長日記

アーユルヴェーダについて学ぶアーユルヴェーダ塾ジュニャーナを主催している「塾長」が古典書にもとづいたアーユルヴェーダのお話を日々綴っています。

正月そうそう反省

アーユルヴェーダ

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

 

以前ご紹介した「あるヨギの自叙伝」を久々に読み返してみた。

↓以前のブログ

ayurvedacramshooljunana.hatenablog.com

 

その中にこんな文章があり、反省してしまった。

 

聖典の言葉をたくさん覚えることと理解することは全く別だ。

聖典は一句一句をじっくり味わって身に付けるならば、

霊的悟りを得るための意欲を刺激するうえで役立つが、

単なる物知りになるための研究はいくら積み重ねても、

なまはんかな知識と偽りの満足が得られるだけで、

悟りを得るための役には立たない」

 

アーユルヴェーダは以前にもお話をしたが聖典である。アーユルヴェーダを学ぶことは聖典を学ぶこと。そして、アーユルヴェーダを学ぶことは解脱や悟りのために学ぶこと。

解脱や悟りは塾長にはなんだかよくわからないけど、塾長なりの解脱ってこんな感じってものがある。              

もちろん、そこには達していないし、そこに到達できるとも思っていない。だけど、できるだけそれに近づけるようにはいたい、とは思っている。

それなのに・・・それなのに・・・・

最近、教えることやブログを書く事に必死になってしまい、アーユルヴェーダのドーシャがどうとか、食事がどうとかの物知りになるためだけ、頭でっかちになるためだけの知識ばかりのことに気を取られてしまい聖典の一句一句をじっくり味わっていない!と猛烈に反省してしまった。。おまえ、そんなんでいいのか?おまえがアーユルヴェーダについてみんなに話したいことはそんなことだったのか?と渇を入れられた気がする。

 

アーユルヴェーダの講師やセラピストの方、頭でっかちになっていないか?見せかけの知識を生徒さんやお客様に与えていないか?

 

アーユルヴェーダを現在学んでいる方、ドーシャや健康だけのことだけではなく、アーユルヴェーダの深い深い知性を味わっているか?

 

アーユルヴェーダは自分を知ること。