アーユルヴェーダ塾ジュニャーナ塾長日記

アーユルヴェーダについて学ぶアーユルヴェーダ塾ジュニャーナを主催している「塾長」が古典書にもとづいたアーユルヴェーダのお話を日々綴っています。

仕事について考える ~その3~

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

 

前回、人生の4大目的について簡単に説明した。

今回はそのなかの一つ「ダルマ」のお話。

 

ダルマ
法・道徳・倫理・役割・使命など
人は人生において、ルールや道徳を守りながら生きていかなければならない。

また、それぞれの人にはやるべき役割や使命があるのでそれらを果たさなければならない、ということ。

 

「仕事=働くこと」だけが仕事ではない。

法を守り道徳感や倫理観をもって生きることは私達の「仕事」でもある。

 

「法」というと日本の法律は約2000あるそうだ。

日本は他国からみると安全で平和で暮らしやすい国だ。

それは「法」があるから。

実際に法が整備されていない国は犯罪や紛争が多いしインフラも整っていない。

 

刑法がなければ殺人者や泥棒がうろうろしていて怖くて家から出れない。

道路交通法がなければ、家を出た瞬間に車にひき殺される。

建築法がなければ、いつ家が崩れるのかとヒヤヒヤしながら生活しなければならない。

消防法がなければ、あっちこっち火事だらけ。

鉄道、飛行機、バス、自動車に関する法律があるから自由に移動ができる。

労働基準法がなければブラック企業だらでみんな過労死まっしぐらだ。

医師法がなくて誰でも医師免許を持たずに治療ができたら怖くて病院なんていけない。

 

私達は「法」をあまり意識をせずに暮らしている。

けれど、自分も含め日本中の人々や企業や社会が「法」を守り、「法」に守られることで秩序が守られ安全で快適な暮らしができている。

「法=ダルマ」を守ることが私達の大切な「仕事」でもある。

 

でも、残念ながら「法」を守らないヤカラがいる。

殺人や泥棒がおきたり、過労死する人がでてきて悲しい思いをする人がいる。

アーユルヴェーダでは「悲しみ」も「病気」だ。

みんな「法」を守り正しく生きていれば「悲しみ」がない。

つまりみんな健康でいられるのだ。

 

「私は法なんて犯してないわ!」っていう人もいるだろう。

本当にそうだろうか。

 

車が通ってない横断歩道で「車が通ってないしぃ~急いでるしぃ~、まっ、いいかぁ~」って赤信号で渡っていないか?

どこかへ行くのにグーグルマップをみながら歩きスマホしていないか?

どちらも道路交通法違反だ。

 

会社で就業時間中にネットサーフィンしたり、トイレで同僚とおしゃべりしていないか?

それも就業規則違反だ。

 

今は連絡がすぐできる時代になったので、塾長もたまにやってしまうが「ごめ~ん、ちょっと遅れる~」なんて軽くライン一つですませてしまうが、約束の時間に遅れることも人間関係のなかでのルール違反だ。

 

家庭での「法」もある。

脱いだ服は洗濯機に入れる、食べたら流し台に食器をもっていく、なんてことも家庭での「法」を守ることだ。

 

自分に対しての法もあるだろう。

無駄遣いをしない、過食をしない、怒らない、なんて自分に対してのルールがある人もいるだろう。

 

罪に問われることはない「法」や「ルール」もたくさんある。

会社の就業規則や人としての付き合い方、家族がみんな快適に暮らすための「法」を守らず自由気ままにやっていていいのか。

自分に対しての「法」も守らず好きなだけ買い物をしたら破産するだろうし、好きなだけ食べたら病気になる、怒ってばかりいたら人がだれも寄ってこなくなる。

辛く寂しい人生になってしまう。それでよいのか。

 

道徳や倫理も守るべき「法(ダルマ)」だ。

なにかしてもらったら「ありがとう」

なにかやらかしたら「ごめんなさい」

なにかしてあげたのに「ありがとう」って言ってもらえなかったり、迷惑をかけられたのに「ごめんなさい」を言ってもらえないと腹が立つ。

「怒り」もアーユルヴェーダでは「病気」だ。

 

 アーユルヴェーダで悲しみや怒りを病気とするのは心が「ざわざわ」するからだ。

心の「ざわつき」が病気なのである。

法を犯したりルール違反をしたり、道徳や倫理を守らず相手に不快な思いをさせるのは、相手を病気にさせていることでもある。

そして、自分が法やルールを守らないことも心が「ざわつく」ことでもある。

このブログを読んでくださっているみなさんは常識人しかいないはずだ。

常識ある人はちょっとしたルール違反をすると心が「ざわつく」のだ。

ちょっとしたルール違反をして自分の心がざわつけば、自分で自分を病気にさせているのだ。

心が「ざわつかない」ようにするのはどうすればよいのか。

答えは簡単。

「法やルールを守る」それだけでよいのだ。

犯罪はもちろんしてはいけない。

たとえ車がこなくても信号無視をしない。

そのためには、時間に余裕をもって家を出ればいい。

どこか行くのにグーグルマップを見ながら行かなくてもいいように地図を頭に叩き込めばいい。

家でのルール、自分へのルールを守らず心がざわつくのであれば、やるべきことをやればいいのだ。

やるべきことをやるのが「仕事」だ。

 

法やルールを守ること。つまり「ダルマ」を守ることは「正しく生きること」であり「正しく生きること」は心の健康を守り、心の病気を防ぐことでもある。

アーユルヴェーダではこの心が「ざわつかない」ようにするために道徳的な守るべきことがたくさん説かれている。

犯罪やルールを守らないヤカラが多い時代でもあるが、アーユルヴェーダを実践するみなさんは「あの人も、この人もルールを守っていないわよ!」などと他人の指摘はまずは置いておいてほしい。

実は自分は気が付いていないだけでルール違反をしている場合がある。

自分は正しく生きているだろうか。犯罪は犯していなくとも、ちょっとしたルール違反を犯している場合もあるはずだ。

それを気が付かないことや自分を過信することは、犯罪を犯した人が「自分は悪くない、自分はなにも悪いことはしていない」というのと同じだ。

 

塾長は多々ルール違反をしている。。最近、やらかしたのは靴。

帰ってきたら靴は下駄箱にしまうのが我が家のルール。我が家の玄関は狭い。

しかも、ペットがいるので脱走防止用の柵まで設置しているので、靴を足しっぱなしにすると次の人が帰って来た時に柵に引っかかってしまい入るのに苦労する。

荷物をさばいたり、ペットに気を取られているとつい靴をしまい忘れる。

そして相方に指摘されるとムッとして言い返す。

ルール違反をしてるのは自分のくせに逆ギレだ。

その辺のヤカラとかわらないし「心が病気」なのだ。

そして「ダルマ」をはたしてないので解脱もできない。。

いろいろと残念な塾長なのである。。

 

話はそれたが、ダルマを果たし「解脱」することがアーユルヴェーダの究極の目的だ。

「法=ダルマ」を守ること「正しく生きること」が私達の「仕事」でもあるが、実はアーユルヴェーダの実践でもある。

これがなかなか難しい。

オイルうがいとかオイルマッサージ、舌掃除なんて実は楽なもんである。

ダルマを守り、心をざわつかせず「正しく生きること」の方がとっても難しい。

 

余談だが、以前とあるアーユルヴェーダの連続講座で「私、アーユルヴェーダ実践しています!」と豪語していてSNSでスパイス料理がどうのオイルがどのうとかアップしまくっている人がいたのだが、残念ながら遅刻の常習犯だった。。

この方が遅刻してくるたびに講師の話が止まり時間を奪われていった。

そのたびに講師も塾長もその他の生徒さんたちもイラっとさせられた。

本当にこの人はアーユルヴェーダを実践しているのだろうか…

まっ、そこでイラっとしている塾長もダメなんだけどね。。

 

次回もダルマの続きで「役割」について書こうと思っています。