アーユルヴェーダ塾ジュニャーナ塾長日記

アーユルヴェーダについて学ぶアーユルヴェーダ塾ジュニャーナを主催している「塾長」が古典書にもとづいたアーユルヴェーダのお話を日々綴っています。

茶道とヨーガ・瞑想のちがい

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

 

先日、カフェインについて掲載したところコメントをいただいたので、

今回はそのコメントについて書いてみました。

 

ayurvedacramshooljunana.hatenablog.com

 

S様から以前「カフェイン」についての考察を教えて欲しい、とのコメントをいただいていました。

そのため上記↑のブログを書いたのだが、S様が「カフェインがなぜ悪いのか?」とされるのは以下↓のような質問を外国の方からされたからだそう。

 

「日本の茶道では、カフェインを多量に含むお茶を飲み、心を落ちつかせるとする。

ではなぜ、インドのヨガ・瞑想では、カフェインはダメとされるのか。」

 

この質問に答えるにはいろんな知識が必要になる。

 

まず、一番わかりやすいのが日本のお茶と外国の方が飲むカフェイン飲料との成分の違いだ。

外国の方の「カフェイン飲料」と言えば「コーヒー」や「紅茶」だろう。

同じ「カフェイン飲料」といえども全ての成分が一緒ではない。

コーヒーと日本の茶を比べると色や香りが違うし、コーヒー豆とお茶の葉まったく違うものである。

ということは、成分や性質が違う。

 

日本のお茶を飲んで「ホッ」として落ち着くのは「テアニン」という成分が入っているから。

この「テアニン」は交感神経の働きを抑えて副交感神経を優位にさせリラックスさせる効果がある。

しかも、茶道で使う抹茶や玉露のような高級茶ほど「テアニン」の含有量が多い。

逆にコーヒーや紅茶はこの「テアニン」の含有量が少ない。

カフェインは交感神経を刺激して覚醒させるが、日本のお茶は「テアニン」の働きによりカフェインの刺激を抑えられる。

そのため、日本のお茶を飲むと心が落ち着き、コーヒーや紅茶はシャッキとさせるのだ。

 

また、茶道ではお茶と一緒に甘いお菓子も出される。

甘い物は心を落ち着かせたり、甘いお菓子を食べると「あぁ~なんて幸せ」と思うことがあるように幸福感や満足感を与えてくれる。

 

それから、現在の日本のお茶はペットボトルで安く、大量に飲めるので、

カフェインを大量に摂っているように外国の方から見えるかもしれないが、

茶道をやっている方はご存知だろうが、茶道で出されるお茶は大量には飲まない。

2-3口で飲み干す量しか飲まない。

家で飲む普通のお茶もひと昔前は、食後やおやつの後に湯のみ茶碗で飲む程度であり、ペットボトルやマグカップでガブ飲みするものではなかった。

 

そして、日本の茶道とインドのヨーガや瞑想は成り立ちがまったくちがう。

塾長は茶道の歴史には詳しくないので、詳しく知りたい方はご自身で調べていただきたいのだが、茶道の歴史は栄西禅師が鎌倉時代の初期、宋よりお茶の木と抹茶を飲む方法を日本に伝えたとされている。

当時はお茶は高級品であったためお殿様やお金持ちの武士や商人など一部の特権階級の人の間で特別な飲み物として飲まれていた。

また、高級品なので大切なお客様をもてなす時や特別な時に飲まれていたようだ。

そして、鎌倉~室町時代にかけてお茶の葉が日本各地で栽培されると、武士の間でお茶の銘柄を当てる「闘茶」が流行ったり、各地の大名が中国の高級な「茶器」を輸入し、それを自慢するために盛大なお茶会を開催したりしていたようだ。

そして、室町時代中期にかけて村田珠光が茶会での博打や飲酒を禁止し、質素や禅宗の礼法を重んじ、亭主と客との精神交流を重視する茶会のあり方を説いた。

さらに千利休などによって「お客様をもてなす」ということを主眼においた現在の私たちがイメージする「茶道」が広まって行ったとされている。

決められた作法を行うことで精神を集中させたり、抹茶の成分の効果や季節の花々、美しい茶器などを眺めることにより心を落ち着かせる効果をもたらすと考えられるようになった実は後付けで、そもそも「楽しむ」ことから発展したのが茶道である。

 

一方、ヨーガや瞑想は茶道のように「楽しむ、嗜む、お客様をもてなす」というものではない。

インドの宗教、哲学、アーユルヴェーダもヨーガも瞑想も全て「苦しみからの救済」がテーマである。

インドで生きることは今も昔も大変に厳しい環境である。

気候も日本のように穏やかではない。

ものすごく暑かったり、砂漠地帯もあればヒマラヤのように寒く厳しい所もある。

川も多いので川が氾濫することもある。

激しく厳しい環境は病気や死という苦しみを生み出す。

いろいろな国とも接しているため多民族国家であり、領土を取り合う戦いや宗教的な戦いなどもある。

明日、国がなくなるかもしれない、明日、殺されるかもしれない、という苦しみがある。

身分階級制度や特定の仕事につかなければならない制度などもあり、自由に生きられない苦しみがある。

島国で敵に責められることもなく、単一民族で宗教は神道と仏教しかなく、穏やかな気候な日本とはインドは全く違うのである。

インドはそういった厳しく苦しい環境で生きるために「いかにして救われるか」を土台にして、厳しい環境や現実から「救済」されるために宗教が生まれ、苦しい現実から救われるために心を静かにしてヨーガや瞑想が発達してきた国なのだ。

 

また、多くの人が欲望をもつと困る人たちもいた。

欲望をもってガツガツと生きていく人が増えると、自分の地位や職業を奪われる可能性がうまれる。

そのため、人々が欲望や不満をもたないようにうま~く人々を丸め込んできたインドの歴史的背景もある。

 

そして、時代を経て欧米にインド思想やヨーガや瞑想が入っていき「カフェイン」がダメなど独自に解釈をされてだんだんと変わってきてしまっている。

 

アーユルヴェーダでも「カフェイン」はダメとはされてはいない。

バガヴァッド・ギータでも「苦味・酸味・塩味・熱い、辛い、乾燥した刺激性の強い食物は、ラジャス(激質)の人たちが好んで食べるが、こうした食物は、人に苦しみや悲しみや病気を引き起こす(B.G/17/9)」とはされるが「カフェイン」を名指しで否定はしてはいない。

「カフェイン」を否定したら、なぜインド人はチャイを飲んでいるのか?

インドでもスタバもあるし、コーラーも売っている。

ギーターが言うこれらの性質から考えると「カフェイン」よりもどちらかと言えば「お酒」なのではないかと思う。

アルコールは、甘味、苦味、辛味、渋味の混合した味であり、温性、乾燥性という性質を持っているとアーユルヴェーダでは言われている。

ヒンドゥー教では飲酒は否定はしてはいないが「好ましくない」とされている。

仏教やイスラム教は「酒は心を乱すので禁止」とされている。

カフェインよりもお酒を禁止している宗教は多い。

(ちなみに、モルモン教はコーヒーやお茶、お酒を禁止している)

アーユルヴェーダでは、お酒は禁止されてはいない。

体質や悪化しているドーシャや季節によっては飲酒をしてもよいとされている。

大量の飲酒やピッタ体質やピッタが悪化している人、精神がラジャスの人や怒りに燃えている人、驚いている人、悲しんでいる人、疲労している人などは避けるべきとされている。

カフェインで苦しみ、悲しみ、病気を引き起こすには、相当な量を飲まなければならない。

しかし、お酒は苦しみ、悲しみ、病気を引き起こすことがたくさん思い当たる。

コーヒーを飲んで失敗したことがある人はそういないはずだが、誰でも一度や二度、お酒で失敗したことはあるのではない?

飲みすぎて駅のトイレでウゲッー、二日酔いで頭がガンガン、酔っ払って上司に絡んで「ヤッべー、やってもうたー!」と焦りまくる・・・なんてことで苦しんだことはない?

塾長は今はお酒は全く飲まないが、若かりし頃は飲んでいたのでイロイロとやらかした・・・恥ずかしい思い出ばかりで心が苦しい。。

そんなことはおいておいて、二日酔いぐらいならかわいいものだが、急性アルコール中毒は最悪死に至る場合もあるように飲酒で引き起こされる病気は多い。

アルコール依存症や肝硬変、肝臓がん、膵炎、すい臓がん、糖尿病・・・などなど

病気にならなくても、お酒飲んで暴れて失業したり、飲酒運転をして他人を轢いてしまい自分の人生も他人の人生も全て壊してしまう、というようなお酒によって肉体的にも精神的にも自分や自分以外の人にも苦しみや悲しみを引き起こすことがたくさんある。

 そう考えるとと「カフェイン」よりも「お酒」の方がしっくりこないだろうか?

 

アーユルヴェーダやヨーガや瞑想を深く知るには、宗教的なことはもちろんだが、インドの歴史、風土、文化、言語など実に様々なことを知っていないと深く理解することは難しい。

実のところ、チャラカ・サンヒターだけを読んでいてもアーユルヴェーダは理解できない。

ヨーガ・スートラだけを読んでいてもヨーガは理解できない。

なぜなら様々なことが複雑に絡み合っているからだ。

アーユルヴェーダやヨーガを理解したい、と思ったら、複雑に絡み合っているものを一つずつ丁寧にほどいていくしかない。

それがインドのものを学ぶおもしろさでもあり難解さでもある。

 ほどいていく作業はとても大変だが、それが遠回りのようで近道でもある。

また、現代的な知識も知ること、日本とのつながりや違いなどを知ること理解を深める一助となる。

それから、欧米や日本に渡ったインド思想がへんてこりんに解釈されているってことも忘れてはいけない。

 

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