アーユルヴェーダ塾ジュニャーナ塾長日記

アーユルヴェーダについて学ぶアーユルヴェーダ塾ジュニャーナを主催している「塾長」が古典書にもとづいたアーユルヴェーダのお話を日々綴っています。

儀式からアーユルヴェーダを考える

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

日本では「令和」という新しい時代が始まった。
天皇陛下の退位や即位の様々な儀式をテレビで観ていた。
静かに粛々と進められる儀式は美しいなぁ、と思ったりしていた。

また、平成を無事過ごせたお礼と令和が良き時代になるよう関東のお伊勢様といわれる伊勢山皇大神宮に参拝をし、世界の人々、自分と家族が安泰にすごせるようお寺で護摩焚きを行ってきた。

儀式や護摩焚きをみていて思ったことがある。
アーユルヴェーダの元となるヴェーダは、神を讃える儀式の際に詠われる賛歌であったり、儀式の手順であったり、病気の治癒や様々な願いを叶えるための儀式の際に詠われる詠歌集である(護摩焚きもインドの儀式であるホーマが由来である)

そして、このヴェーダからアーユルヴェーダを始め、インドの宗教、思想、文化、芸術、文学など様々なものが生まれ、現代にも脈々と続いている。
そのため、インドでは昔も今も儀式が非常に重要である。

現代でも寺院で行われる神を讃える様々な儀式があり、結婚、子供の成長を願う儀式など人生の節目に行う儀式もたくさんあり、先祖を供養する儀式もある。
また、家庭でも祭壇があり、祭壇に水や食べ物を供え、祈りを捧げる。
これも一つの儀式である。
インドは儀式が生活の一部である。

そう考えると、アーユルヴェーダも儀式と切り離すことはできないはずである。
チャラカ・サンヒターでも病気の治療には2種類あるとされ「理にかなった治療」と「神に依存する治療」である、とはっきり書かれている。
「神に依存する治療」は儀式を行うことでもある。

そう言えば、塾長がアーユルヴェーダの学校で学んでいる時のトリートメントの授業の際に、マントラを唱えさせられた。
そして、自分や施術される人の「気」を整える決まったやり方があった。
当時は「なんでこんなことするのか?」と思いつつ言われるがままやっていたが、今思えば、トリートメントでよい結果を出すための儀式であったのかもしれない。

また、アーユルヴェーダでは、私たちの身体にはドーシャといわれるヴァータ・ピッタ・カパという3つのエネルギーが流れていて、そのドーシャが身体を維持していると考える。

ドーシャは空・風・火・水・土でできている。

インドでは空・風・火・水・土は、それぞれ神様がいる。
古代インド人は、力をもつ自然現象を神とし、その神たちが穏やかでいてくれることを願った。
神々が穏やかに調和していることで私達の生活は脅かされることはなく、自然の恩恵を受けて快適に生きていけるのだが、自然の神々が暴れると強風や火事や大雨や洪水、干ばつなどが起き、自分達の生死にかかわるようなことが起きると考えた。
そのため神々が暴れないように、供物や賛歌や祈りを捧げ様々な儀式を行った。

アーユルヴェーダではその自然の神たちが私達人間の身体のなかにいる、と考え
ヴァータ(空+風)
ピッタ (火+水)
カパ  (水+土)
というドーシャになったと考えることができる。

私たちの身体のなかにいる空・風・火・水・土という神々が穏やかに調和してくれることで、私たちの身体が健康でいられるのだ。


食べ物や飲み物は身体の中の神々にお供えする供物。
オイルマッサージやうがいは身体の中にいる神々に行う儀式。
ヨーガや瞑想も身体の中にいる神々に行う儀式であろう。
そう考えると変なものを食べたり飲んだり、マッサージをやったりやらなかったり、適当にやったりすれば、神様がお怒りになり、身体の中で暴れてしまうであろう。
つまりドーシャが乱れ病気になる、と考えることはできないだろうか。
健康であるためには、身体の中の5人の神様に常にご機嫌よくいてもらう必要がある。
さらに言えば、人によって5人の神様の中でも特に暴れやすい神がいて、
それが体質と考えることもできる。
暴れやすい神様には特に気を配ることが必要である。
それが自分の体質には特に気つけるべき、ということにつながる。
ただし、一人の神様ばかりに気をとられていると他の神様のご機嫌を損ねることがある。
それが、カパ体質でもヴァータやピッタの病気になるということにもつながる。

 

アーユルヴェーダが薦める様々なことは、身体の中の空・風・火・水・土という5人の神々にご機嫌よくいてもらうことであり、健康という最大の恩恵を受けるために行う儀式なのかもしれない。

アーユルヴェーダの実践にはめんどくさいことも多いが、儀式と思って粛々と淡々とやればいいのかもしれない。
神様=(イコール)自分(梵我一如)もインドの考え方でもある。

 

神様が歓ぶこととは何であるのか?
神様がお怒りになることはどんなことであるのか?
そんなふうに考えると、アーユルヴェーダを理解すること、実践することに意味を感じる。

 

 

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