アーユルヴェーダ塾ジュニャーナ塾長日記

アーユルヴェーダについて学ぶアーユルヴェーダ塾ジュニャーナを主催している「塾長」が古典書にもとづいたアーユルヴェーダのお話を日々綴っています。

誰かを幸せにするために必要なこと

こんにちは。アーユルヴェーダ塾ジュニャーナの塾長です。

 

誰かを幸せにしたい、

誰かの役に立ちたい、

困っている人を助けたい、

仲間のためにがんばりたい、

家族に幸せになってもらいたい、

お客様を癒したい、

生徒さんの要望に応えたい...

など...

 

他者に協力をしたり、

誰かに喜んでもらうことをしてあげたい、

と願う方は多いのではないだろうか。

また、自分が望まなくても他者のために力を貸したり、

助けたりしなければならないこともあるだろう。

アーユルヴェーダでも家庭や社会、さらには地球レベルで役に立つことは有益な人生であるとされる。

(そのために健康でなければならないと説くのがアーユルヴェーダ

また、善行は解脱にも必要だ。

 

他者のために何かをする際に必要なことがある。

愛、やさしさ、慈悲の心、信頼、責任感、知識、技術、お金...などなど

たくさん必要なことがある。

しかし、最も必要なことがある。

それは「自分が幸せである」ということ。

 

自分が幸せではないと他者を幸せにすることは難しい。

仕事がいっぱい、いっぱいで余裕がないのに力を貸して、と言われても困るだろう。

愛する人がいなくなって悲しみにくれているのに助けて、と言われてもできない。

もちろん、自分が幸せではなくても他者の役に立つことはできないことはない。

しかし、もし自分が誰かに助けてもらいたい、と思った時、

何か問題を抱えている人、

不安や心配を抱えている人、

悲しみに覆われているような人に助けてもらいたいだろうか?

塾長だったら「こちらのことより先にご自身の問題を解決してから手を貸して」と言ってしまう。

不安や心配がある方だとこちらも「この人、大丈夫かいな?」と不安や心配になる。

悲しみに覆われている方だとこちらも悲しくなる。

体調が悪い時に人のお世話はつらい。

お世話される方も体調が悪いなら「寝てておくれよ」と思ってしまう。

アーユルヴェーダでは体も心も健康であることが幸せであるとされる。

 

また、問題や悩み、不安、心配があると「心のゆとり」がなくなる。

「心のゆとり」がないと相手の気持ちを汲み取ったり、

相手が求めていることを理解することができない。

人は「心のゆとり」がないと他者中心に考えられない。

人は自分の幸せ、自分の都合や感情を優先する。

自分や大切な人や物を守るには人として当たり前。

しかし、幸せだと「心のゆとり」ができる。

相手を中心に物事を考えることができる。

また、多少の自己犠牲が苦でない。

人の役に立つには多かれ少なかれ自己犠牲が必要だ。

特に自分が嫌でも他人のために何かをしなければならない時の自己犠牲はストレスがたまる。

ストレスをためながらイライラされながら助けてもらうのもお互い辛いだけだ。

 

相手を求めていることを叶えてあげるには、

相手の考えていること、

言いたいことを汲み取らなければならない。

そのためには、相手にフォーカスしなければならない。

頭も使えば体力も使う。

集中力、体力と言ったエネルギーが必要だ。

偏見かもしれないが、老若男女問わず幸せそうでない方をみるとエネルギーに満ち溢れている感じはするだろうか?

疲れていて、暗い顔をしていてエネルギー切れって感じではないだろうか?

幸せでない時は心も体も疲弊していることが多い。

そんな時に他者にエネルギーを注ぎ込むことなんてできない。

心の余裕、肉体的エネルギーのなさから他者中心に物事を考えることができず、

相手が求めていることと違うことをしてしまう可能性もある。

相手の希望と違うことをすれば感謝されない。

そうなると不満や怒り、悲しみから余計にエネルギーを消耗してしまうかもしれない。

助けてあげるつもりが、役に立つはずだったのが自分がエネルギー切れになってしまっては意味がない。

 

幸せは「分け与えるもの

自分が幸せであるからこそ他者へ幸せを分けてあげることができる。

我慢や自己犠牲で成り立つものではない。

誰かを幸せにしたければ、

まずは「自分の幸せ」を優先しょう。

 

f:id:ayurvedacramshooljunana:20210327142742j:image